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裁判年月日 昭和34年12月22日 裁判所名 東京高裁 

事件番号 昭34(行ナ)35号

事件名 審決取消請求訴訟事件

 

 

 

主  文

 

 原告の請求を棄却する。

 訴訟費用は原告の負担とする。

 

 

 

 

   事  実

 

第一 請求の趣旨及び原因

 原告訴訟代理人は、特許庁が昭和三十二年抗告審判第一、九〇三号事件について昭和三十四年六月二十九日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求原因として次のとおり主張したた。

 一、原告は、漢字で「昭和小判」と縦書して成る別紙表示のごとき商標につき、第四十三類菓子及び麺麭の類を指定商品として、昭和三十二年三月二十五日、特許庁に登録出願をしたところ、該出願は同年商標登録願第八、七五九号として同年八月二十日附で拒絶査定を受けたので、原告は同年九月十七日に抗告審判請求に及んだが、同事件は同年抗告審判第一、九〇三号事件として審理の結果、昭和三十四年六月二十九日に至り、右抗告審判請求は成り立たない旨の審決があり、その審決書謄本は同年七月十一日に原告に送達された。

 二、右審決の要旨は、本願商標を、これも別紙に表示するとおり、行書体で「小判」の漢字を縦書して成り、第四十三類飴その他本類に属する商品を指定商品として登録された登録第三八〇、八五二号商標と対比考察したうえ、両商標は観念及び称呼の上において、取引上互に誤認混淆のおそれがあり、指定商品においても相牴触するものである、というに存するところ、右認定には次に主張する通りの誤まりがあり、したがつて本件審決は違法として取り消さるべきである。

  (一) まず、審決は、本願商標と引用登録商標との観念上の類否判断について、「前者(本願商標)については一応「昭和小判」と云う一連の観念を有するものでないとすることはできないが」と前提しつゝ、「然し乍ら「昭和小判」の文字自体の意味が特定した小判である事柄を強く認識せしめるものであるとするなればいざしらずその意味の主眼は小判それ自体の観念を脱する意味とは解し得られないとするを社会観念上相当とするところである。」とし、「従つて「小判」の文字よりなる後者(引用登録商標)とは共に「小判」の共通観念に於て取引上彼此誤認混淆を生ぜしめるものであると謂わなければならない。」といつている。

 しかし、「小判」とは、これを多くの辞典類に徴するも明らかな通り、本邦内において天正頃から江戸時代までに鋳造通用せられた薄い楕円形の金貨の総称であつて、小判金の略称であり、その種類も一種類ではなくて、それぞれその鋳造の元号を冠して「慶長小判」、「元祿小判」、「宝永小判」、「正徳小判」、「享保小判」、「元文小判」、「文政小判」、「天保小判」、「安政小判」、「万延小判」の十種類を数え、これらは総称「小判」(正確にいえば小判金)において共通するところがあるが、具体的な点においては互に相違するのである。

 そして、「小判」は、前述のごとく、鋳造の元号を冠して他の「小判」と区別するものであるから、たとえ観念上抽象的なものであつても、これによつて商標を構成せしめ、その商標を介して商品の上に具体的に表現するならば、「明治小判」や「大正小判」があつてもよいわけであり、たとえ実在していなくても、これより生ずる端的な意義は、「明治小判」は「明治の小判」であり、「大正小判」は「大正の小判」であると同様に、「昭和小判」は「昭和の小判」を直想させるものであるから、生鮮なニユアンスを有する「昭和」の文字と、懐古的な情感を有する「小判」の文字との結合と相まつて、独特な一連の観念を生ずるものなのである。

 かくて、「昭和小判」中「昭和」の文字は、たとえ現元号であつても、「昭和小判」なる本願商標は、ただ「小判」の文字と「昭和」の文字とを組み合せたものにあらず、(イ)小判金十種の古来の用語例を素朴的に踏襲し、(ロ)「昭和時代の」又は「昭和の小判」という一連的な意味を端的に表現したものであつて、(ハ)その語義は特殊特定の小判金に限定したものであるから、例えば「昭和」の文字と指定商品の普通名称とを組み合せてなる「昭和煎餠」、「昭和おこし」、「昭和ビスケツト」、「昭和チヨコレート」等々の類とはその趣を異にする。すなわちそれら指定商品の名称とは全く相違する普通名詞「小判」と結合し、もつて本願の商標を形成するものであるから、これよりは一連の観念を生じ、かつ特定の小判であることを強く認識せしむるものなのである。

 審決が、前記のごとく、「前者については一応「昭和小判」という一連の観念を有するものでないとすることはできないが」と認定しながら、さらにこれを否定して、「然し乍ら「昭和小判」の文字自体の意味が特定した小判である事柄を強く認識せしめるものであるとするなればいざしらず」云々と判定したのは、元号のみに捉われて「昭和小判」本来の用語用法を閑却し、一連の語義観念に思いをいたさなかつたものであつて、不当な判断であるといわざるを得ない。

  (二) つぎに、審決は、前記摘録の理由中、「その意味の主眼は小判それ自体の観念を脱する意味とは解し得られないとするを社会通念上相当とするところである。」とし、「従つて「小判」の文字よりなる後者とは共に「小判」の共通観念に於て取引上彼此誤認混淆を生ぜしめるものであると謂わなければならない。」といつている点について。

 しかし、本願の商標が引用の登録商標と「小判」の文字において共通するところがあつても、必ずしも観念上類似するものにあらざることは、すでに縷述したとおりであるが、凡そ森羅万象、百般の事物において、それが草木なると、獣魚なると、日月星辰なるとを問わず、いやしくも綱、目、科、属、種に関する限り、それらの範疇を拡大又は縮少すれば、異なるものも同、同なるものも異、例えば、

 菫、蒲公英、レンゲは草花である点において、

 杉、松、檜、柏は樹木である点において、

 金魚、フナ、メダカ、鮎は魚である点において、

 犬、猫、兎、狐、狸は獣である点において、

 北斗星、銀河、大熊座、十字星は星である点において、

 いずれも観念上共通するところはあるが、種々の形態を網羅する種類名と、個別の各事物とは具体的には類似するものではない。

 いま、引用商標の「小判」と、本願の商標の「昭和小判」とをみるのに、前者が慶長、元祿、宝永、正徳等々の各小判の総称であつて、小判金の略称であることは、さきに吟味した通りであり、後者は、各種の小判金における旧来の用語用法にのつとり、元号「昭和」を冠して「昭和小判」とし、「昭和の小判」として商品「菓子及び麺麭の類」に使用するものであるから、たとえ実在していないものであつても、それは、「慶長の」、「元祿の」、「宝永の」、「正徳」の、等々の各小判金と同様に、小判金の観念を特定するものであることに変りはない。すなわち、「小判」と「昭和小判」とは、小判金において共通するところはあつても、なお、小判として、前記各種の小判が相違するごとく、「昭和小判」もまたよく識別せられるものである。

 審決は、小判とは小判金の略称であつて、各種小判の総称であることを看過し、かつはまた、「昭和小判」とは「昭和の小判」なる特定の語義観念を生ずることに思いをいたさず、商標類否の判断における共通点と類似性との本質的差異を無視し、たゞ漫然と、本願商標をもつて、「小判の文字よりなる後者とは共に「小判」の共通観念に於て取引上彼此誤認混淆を生ぜしめるものであると謂わなければならない。」と輙断したことは、まことに失当である。

  (三) 審決は、また、「更に両者をその称呼上よりみるときは、前者(本願商標)を「シヨウワコバン」と称呼するものであることは否定しないが、その称呼中の「シヨウワ」は現元号「昭和」であることを深く認識し、この「シヨウワ」即ち「昭和」と「コバン」即ち「小判」を組合せた意味が特定した小判の事柄を観念するものでないこと明らかである以上、この称呼中の「コバン」の部分は世人をして強く印象づけるところの呼称であると謂わなければならない。この様な訳で「コバン」の称呼を有し「小判」を示すものであることが明である後者(引用登録商標)とは共に「コバン」の呼称を共通にし、全体としての称呼上に於て彼此誤信混淆を生ぜしめるものであること、経験則に照し至当とするところであるから云々」と説示している。

 しかし、右説示中、「シヨウワ」の称呼が、「現元号「昭和」であることを深く認識し」とあるのは、誰がさように認識するのか、文意は汲み取りにくいけれども、もしこれが、そのことを世人(又は一般聴者)が深く認識し、とするにあるならば、まさにその通りであつて、深く認識されればこそ、世人の聴覚的印象は強烈であつて、記憶にも残り、回想力にも富むことは、いまさら贅言を要しないところである。

 また、「昭和小判」が「昭和の小判」として特定した小判の事柄を明確に観念させるものであることは、すでに屡述した通りであるから、みだりにこれを否定することは当を得た判断とはいいにくいし、「シヨウワ」の称呼が、前記のごとく、現元号「昭和」の故をもつて世人に深く認識せられることはもちろん、該称呼は前段に記述したように種々の特徴と異色の意義とを有するものであるから、本願の商標における一連不可分の構成の熊様と相まつて、これより一連一体の自然的称呼を生ずることは、むしろ当然であるというべきである。

 しかも、称呼判断の標準は、商標から自然に流れ出る呼び名についてなさるべきものであつて、本願商標が「シヨウワコバン」と称呼せられるものであることは、被告もこれを否定し得ないところであり、引用登録商標とは、称呼上截然と弁別し得られるのである。

 審決が、本願商標における元号の圧倒的な甄別的機能を顧慮することなく、「コバン」の称呼のみを聴覚の印象以上に重視して、ことさらに「シヨウワ」の称呼を軽視し、かつ両語の本質的な索連関係をも度外視して、みだりに両語を分割し、「この様な訳で「コバン」の称呼を有し小判を示すものであることが明らかである後者(引用登録商標)とは共に「コバン」の呼称を共通にし全体としての称呼上に於て彼此誤信混淆を生ぜしめる」と審示したことは、その判断は正鵠を得たものではない。

 以上のとおり、本願の商標と引用登録商標とは、外観、称呼及び観念において判然と区別することができるので、たとえ指定商品を同一にしているとしても、当業者又は需要者が払う普通の注意をもつてすれば、両商標は容易に甄別することができるものであるから、本願の商標を目して引用登録商標と類似するものとし、その登録を拒否したことは、失当であるといわざるを得ない。

 三、なお、被告は、本願の商標「昭和小判」を観察するにあたり、それが実在するか否かを論拠の中心に求め、「昭和小判」は実在しないから、「小判」と観念上類似する、と主張するが、「昭和小判」はその指定商品たる商品菓子及び麺麭の類に使用するものであるから、やがてはそれらの商品について実在するに至るので観念上貨幣として実在したものと商品として実在するものとに区別して、両者を実在の有無により観念類似の異同を判定するのは、一面には、慶長小判以下十種の小判金と、「昭和小判」とを同列の貨幣として観察し、商標としての特殊性を慮外においたものであり、他面には、原告の主張する小判の種類と、これらの小判には鋳造の元号を冠して異別の小判を表示する用語用法と、商標の類否判断の標準からみた共通性と類似性との関係などを無視した不当な判定である。被告の主張するところによつても、実在する慶長小判以下十種の小判は、各々別異のものであることを容易に確認し得られる顕著な事実であるとしているのであるから、「昭和小判」も亦、当然かつ容易に、それらの小判と甄別し得ることは、論理上必然であるというべきである。

 また、本願商標の称呼に関する被告の主張も、常に口にし耳にもしている音韻は一般に理解せられ易く、しかも世人に聴きなれている語調や語感は普通認識せられ易いという心理作用の常態に反するものであり、かつ、聴感覚の問題に観念上の判断を導入し、称呼と観念とを混同したものである。

 本願の商標は、「昭和小判」の文字を縦に連綴したものからなり、各文字は、同一の書体で、同一の大きさで、同一の色彩で、同一の間隔で、しかも一体に結合されたものであるばかりか、「昭和」と「小判」とは密に組み合わされていて、両部分に軽重の差異がないから、これより自然に生ずる称呼は、一連不可分の「シヨウワコバン」であり、かつ端的に「昭和の小判」なる一連一体の特定した語義観念を想起させるものである。被告の主張は、「昭和」と「小判」とをことさらに分離し、是が非でも「小判」の称呼及び観念のみを抽出せんとして、理不尽の理由を作為したものであつて、不法な判断であるというべきである。

第二 答弁

 被告指定代理人は、主文通りの判決を求め、次のとおり答弁した。

 一、原告主張の商標登録出願から抗告審判の審決書謄本送達にいたるまでの特許庁の手続に関する事実については争わないが、右審決の判断が失当であるとして原告の主張する諸点については、次の理由によりこれを争う。

  (一) およそ各種の小判を列挙して見れば、原告の主張するとおり、慶長小判、元祿小判、宝永小判、正徳小判、享保小判、元文小判、文政小判、天保小判、安政小判及び万延小判の十種を数えることができることはいうまでもなく、これらの小判がいずれも一両に相当する価値を有するものであつたにかゝわらず、○○小判として現在一般的に区別されている事実は、それぞれ貴重なる骨董的価値のある実在物として、別個の小判である観念を世人に強く認識せしめる場合に見られるところである。しかるにこのような事情を知つていないものから云えば、これらはいずれも単に「小判」としてしか認識せしめるものでないことは、いうまでもないことである。いわんや、本件出願商標の「昭和小判」においては、その観念においておのずから実在の小判とはその意味を全然異にすることが判然としており、たとえ現元号の「昭和」を「小判」に冠し、一連に連記したからと云つても、世人に与えるこの文字の主眼点は、その文字の意味合上、「小判」の方に圧倒的に重点がおかれ、世人間にこの部分が強く印象感受されるといわなくてはならない。かようなわけで、本件抗告審判の審決においても、「昭和小判」の文字が特定した小判である事柄を強く認識せしめるものであるとするならばいざしらず、と示しているところであつて、現元号「昭和」の文字に「小判」の文字を加えた「昭和小判」の意味は、小判の観念より離脱した特別の事情がないことは、該文字の性質上明らかなところである。而して、本件出願商標が世人に対し与える印象は、小判それ自体の方に強く感じられるとする方が常識的であつて、ましてその指定商品との関係を勘案するときは、取引者又は需要者をして、「昭和小判」は単なる「小判」の観念を強く印象づけるところであるといわなければならないから、結局本件審決を「昭和小判」の用語用法を閑却した判断であるとする原告の主張は、当を得ないものであつて、採用するに足る価値がない。

  (二) 次に原告の主張する森羅万象百般の事物は、社会事情によつて、そのすべてが常に判然と甄別し得られるとする限りのものではなく、客観的にこれをみれば、観念上又は称呼上よりし彼比混淆を生ぜしめる場合の存することは、取引の実際と経験則に照し明らかであるといわなければならない。そもそも、小判といえば各種の小判を含めた総括的概念の名称であるが、小判に対して社会人のいだく印象は、骨董的価値の重かつ大なる関係を強く認識する実在の小判については、「○○小判」と云つて他の小判とは別異のものであることを容易に確認し得られる顕著な事実のあることを見逃すことができない。しかし、本願商標の「昭和小判」は実在する小判とは云いがたく、いまだもつて小判の範疇を脱する観念を世人をして容易に想起せしめるに足るものではなく、たとえ「昭和小判」の文字を一連に連記していても、その観念は畢竟世人をして小判を強く印象づけるだけに過ぎない性質のものである。かようなわけで、「小判」の文字より成る引用の登録商標とは、その観念上において、取引上彼此混淆を生じ、審決が両者を観念上相類似するものであるとしたことは、商取引の実際と経験則上、当然で適正な認定であると謂わなければならない。

  (三) また、本願商標の称呼は「シヨウワコバン」と云い、引例の登録商標は「コバン」の称呼を有し、これを比較してみるときは、前者は五音、後者は三音の差異のあることが明らかであつても、前者の称呼中「シヨウワ」の発音は聴きなれている現元号「昭和」の称呼であることのみが理解され、かつ認識し得るところであり、世人の聴覚に与える影響はきわめて軽易であつて、特異性の弱い呼称であることが、その性質上判然としている。してみれば、これに「コバン」の称呼を結び付けても、小判の総括的概念を現わす「コバン」の称呼に強く印象づけられ、実在する小判の事柄を観念するものでないことを認識するのみで、他に格別の小判であることを観念するものでないことが明らかであるといわざるを得ないから、前者の称呼中「コバン」の点が世人に強く感ぜられ、この「コバン」の称呼が引用の登録商標と相共通するものである以上、両商標は、全体として呼称された場合でも、彼此混淆を生ぜしめるものであること、取引の経験則に照して、至当とするところである。

 本件抗告審判の審決はこの点を説示したものであつて、原告の主張は客観性がなく、かつ取引の経験則にも相反し、採用するに足りない。

 二、要するに、本願商標が本件に引用した他人の登録商標と類似するものであること、きわめて明瞭であつてて、その指定商品も互に牴触すること明らかであるから、本願商標は、商標法第二条第一項第九号にもとづき、その登録を拒否せらるべきものであり、本件抗告審判の審決の取消を求める原告の本訴請求はその理由がないものといわなければならない。

第三 証拠〈省略〉

 

   理  由

 

 一、原告が、漢字で「昭和小判」と縦書して成る別紙表示のごとき商標につき、第四十三類菓子及び麺麭の類を指定商品として、昭和三十二年三月二十五日に特許庁に登録出願をしたところ(同年商標登録願八、七五九号)、同年八月二十日附で拒絶査定を受けたので、同年九月十七日に抗告審判の請求をしたが(同年抗告審判第一、九〇三号)、昭和三十四年六月二十九日に上記抗告審判請求は成り立たない旨の審決がされ、その審決書謄本は、同年七月十一日に原告に送達されたことについては、当事者間に争がなく、右審決の要旨は、本願商標は、別紙表示のとおり、行書体の漢字で単に「小判」と縦書して成り、第四十三類飴その他本類に属する商品を指定商品として登録されてある登録第三八〇、八五二号商標と、観念及び称呼の上において取引上互に誤認混淆のおそれがあり、指定商品においても相牴触するものである、というにあり、かつ該判断をするにいたつた思考の経過について、審決理由中に、本件において被告が指摘するごとき記述が存在することは、被告の明らかに争わないところである。

 二、ところで、小判とは、天正頃から江戸時代までに鋳造通用した薄い楕円形の金貨の総称である小判金の略称であり、その種類は一種類ではなく、「慶長小判」以下十種類を数えるものであることは、原告もこれを争つておらず、本願商標の「昭和小判」とは、右のごとく、「小判」の上に鋳造の元号を冠して他の小判と区別する古来の用法にならつて、現元号である「昭和」を「小判」に冠したものと認められるが、現実にはそのような小判が鋳造されたことはなく、右は原告の創造語であることは、言うまでもない。

 さて、小判、或いは小判金の分類である慶長小判以下十種の小判が、小判中特定された、ある種の小判として、これらの総称である小判とは観念同一なるものではないと同様に、本願商標において創造された「昭和小判」なる観念は、小判の観念に何らかの意味での限定を加えるものであつて、両者は厳密に同一の観念を表明するものとはいゝがたいが、そのことと、両者の観念が類似するかどうかの問題とは、区別してこれを考えなくてはならない。

 商標法第二条第一項第九号の適用上、商標の類似であるかどうかを判断するには、取引者、需要者等一般世人の通常払うべき注意の程度を標準として、しかも当該各商標を目前に並置して対比観察するのではなく、いずれかの商標のみにもとづき、いわゆる離隔的に観察した場合において、誤認混同の危険がないかどうかを考慮する必要があることは、該規定の趣旨が、取引上の誤認混淆を防ぎ、もつて商品の信用を維持しようとするにあることから推して、多く論ずるまでもないことである。

 いま、本願商標の「昭和小判」と、引用された登録商標の「小判」とを、その表現する観念の上において対比考察するのに、両者は共に「小判」なる観念を有する点において共通であり、前者は「小判」の上に「昭和」の字を冠することにより「昭和の小判」という観念をも生むことは、否定することができないけれども、それが貨幣の名称として使用される場合は格別(それを慣用の語法にしたがつて昭和時代に鋳造された小判と解する限り、現在そのような貨幣の存在しないことは、前記のとおりである。)、本願商標の指定商品である菓子及び麺麭の類、或いは引用登録商標の指定商品である飴その他第四十三類に属する商品のように貨幣とは何の関係もない商品について使用される場合にあつては、観念上「昭和の」という限定が附せられると否とは、商標の類否判断の前示基準に照し、かつ、「昭和」とは現元号であつて、しばしば口にせられ、したがつてその与える印象において強いものとは言い得ない点にかんがみ、自他甄別力において、言うに足るほどの相違がないと認めるのが相当である。

 原告は、森羅万象百般の事物において、種々の形態を網羅する種類名と個別の各事物とは類似するものでない、と主張するが、種類といえども特定の事物を指称するものであり、その種類に属する他の事物との、相互の関係の相当に緊密になつた場合に、かつこれらの名称の用いられる対象の相違に応じて、必ずしも類似の関係を生じ得ないものということはできず、本件の菓子、麺麭、飴等の商標に用いられた場合における、小判と昭和小判との関係のごとき、商標法第二条第一項第九号の適用上、観念類似の関係の生ずることを否定することができない。

 原告は、また、本願商標の「昭和小判」は結局指定商品について実在するに至るので、慶長小判その他実在する小判との間に、具体的に特定した観念を表明する点において差異はない、と主張するが、慶長小判以下十種の小判は歴史的に存在すると同時に、現実にそれぞれ骨董としての貴重性を認められているものであることは、原告も明らかに争つていないところであるから、それぞれの小判の特異性は世人に強く認識されていると言い得るのに反し、昭和小判のほうは原告の創造語であつて、それが指定商品の商標として具体化されるというものの、かゝる創造語を指定商品の商標として用いるということ自体に、本願商標選択の意図が存するものというべきであるので、商標の類否を判断する上において、慶長小判等既存の特殊概念と同日にこれを談ずることはできない。

 三、要するに、本願商標の「昭和小判」と引用の登録商標の「小判」とは観念類似せるものといわざるを得ず、かつ、商標法第二条第一項第九号の適用があるとするためには、外観、観念、称呼の一だに類似すれば足ると解すべきであるので、指定商品の相牴触することについては、原告も明らかに争つていないものと認むべき本件においては、称呼の類否に関する争点につき判断するまでもなく、本願商標の登録の許すべからざることは明らかであるということができる。

 本件審決には何らの違法の点が認められないので、これが取消を求める原告の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

 (裁判官 内田護文 鈴木禎次郎 入山実)

 

 (別紙)

 本件出願商標〈省略〉

 引用の登録第380852号商標〈省略〉

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