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裁判年月日 平成28年 1月27日 

事件番号 平26(行ケ)10202号

事件名 審決取消請求事件

 

主文

 

 1 特許庁が無効2013-800029号事件について平成26年7月25日にした審決を取り消す。

 2 訴訟費用は被告の負担とする。

 

事実及び理由

 

第1 原告の求めた裁判

 主文同旨

第2 事案の概要

 本件は,特許に対する無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。争点は,①サポート要件違反(特許法36条6項1号)についての判断の当否,②実施可能要件違反(同法36条4項1号)についての判断の当否,③進歩性(同法29条2項)判断の当否,並びに,④新規性(同法29条1項,公然実施及び公知の有無)判断の当否である。

 1 特許庁における手続の経緯

 被告は,名称を「フルオレン誘導体の結晶多形体およびその製造方法」とする発明について,平成20年2月8日(本件出願日。優先権主張平成19年2月15日,本件優先日),特許出願をし,平成20年6月20日,その特許権の設定登録(特許第4140975号)を受けた(本件特許。甲1)。

 原告が,平成25年2月20日に本件特許の無効審判請求(無効2013-800029号)をしたところ,特許庁は,平成26年7月25日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同審決謄本は,同年8月4日に原告に送達された。

 2 本件発明の要旨

 本件特許に係る発明(本件発明)の要旨は,以下のとおりである(甲1)。

 【請求項1】

 「ヘテロポリ酸の存在下,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとを反応させた後,得られた反応混合物から50℃未満で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの析出を開始させることにより9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を得,次いで,純度が85%以上の該粗精製物を芳香族炭化水素溶媒,ケトン溶媒およびエステル溶媒からなる群から選ばれる少なくとも1つの溶媒に溶解させた後に50℃以上で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの析出を開始させる9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶多形体の製造方法。」(本件発明1)

 【請求項2】

 「ヘテロポリ酸の存在下,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとの反応が,脱水条件下で行われる請求項1に記載の製造方法。」(本件発明2)

 【請求項3】

 「ヘテロポリ酸が,リン酸またはケイ酸と,バナジウム,モリブデンおよびタングステンから選ばれる少なくとも1つの元素の酸素酸イオンとから構成されるヘテロポリ酸である請求項1~2に記載の製造方法。」(本件発明3)

 【請求項4】

 「ヘテロポリ酸が,ヘテロポリ酸無水物または予め脱水処理されたヘテロポリ酸である請求項1~3に記載の製造方法。」(本件発明4)

 【請求項5】

 「溶媒が,芳香族炭化水素溶媒である請求項1~4に記載の製造方法。」(本件発明5)

 【請求項6】

 「溶媒が,トルエンまたはキシレンである請求項1~4に記載の製造方法。」(本件発明6)

 【請求項7】

 「示差走査熱分析による融解吸熱最大が160~166℃である9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶多形体。」(本件発明7)

 【請求項8】

 「Cu-Kα線による粉末X線回折パターンにおける回折角2θが12.3°,13.5°,16.1°,17.9°,18.4°,20.4°,21.0°,23.4°及び24.1°にピークを有する9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶多形体。」(本件発明8)

 【請求項9】

 「回折角2θの最大ピークが18.4°である請求項8に記載の結晶多形体。」(本件発明9)

 【請求項10】

 「ヘテロポリ酸の存在下,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとを反応させた後,得られた反応混合物から50℃未満で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの析出を開始させることにより9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を得,次いで,純度が85%以上の該粗精製物を芳香族炭化水素溶媒,ケトン溶媒およびエステル溶媒からなる群から選ばれる少なくとも1つの溶媒に溶解させた後に50℃以上で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの析出を開始させて得られる9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶多形体。」(本件発明10)

 3 審決の理由の要点

  (1) 本件審決の理由は,要するに,①本件特許請求の範囲の記載は,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであるから,特許法36条6項1号に適合する,②本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件発明1~本件発明10の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるから,特許法36条4項1号に適合する,③本件発明1~本件発明10は,特開2007-23016号公報(甲6)に記載された発明(引用発明)及び周知技術に基づいて,又は引用発明及び特開平10-45655号公報(甲9)若しくは特開平10-45656号公報(甲10)に記載された発明(甲9発明又は甲10発明)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえないから,特許法29条2項の規定に違反して特許されたものではない,④本件発明7は,本件優先日前に公然と実施され,又は公知となっていたとはいえないから,特許法29条1項1号又は2号には該当せず,無効審判請求人(原告)が主張する無効理由によっては本件特許を無効とすることはできないというものである。

  (2) 無効理由1(サポート要件違反)について

   ア 原告の主張

 本件特許請求の範囲の記載は,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレン(BPEF)の製造に関する必要十分な実験等の記載がなく,当業者が発明の詳細な説明の記載内容に基づいて,発明の課題が解決できることを認識することができないため,本件発明1~本件発明10は発明の詳細な説明に記載したものであるといえない。

 (ア) 本件特許の明細書(甲1,本件明細書)の【実施例1】【0035】及び【実施例2】【0036】の製造方法(実験No.1)の具体例が,多形体Bの種晶を用いて実施されており,多形体Bの製造方法が不明であるから,請求項1の実施例として意味がない。

 (イ) 請求項1において,粗精製物の析出開始温度の上限値を「50℃未満」とし,粗精製物の純度の下限値を「85%以上」とし,再結晶時の析出開始温度の下限値を「50℃以上」に設定することにつき,比較検討すべき実験が開示されていない点に不備がある。

 (ウ) 本件明細書の実施例3では「10℃まで冷却」しているのに対して,甲6の実施例9では「室温まで徐々に冷却」としていることから,実施例3については,実験を行っていない可能性が高い。

 (エ) 請求項1に関する実験例が2つしか開示されておらず,比較実験もない以上,当業者が請求項1で規定された数値範囲全体で多形体Bが製造できると認識することはできず,請求項1は発明の詳細な説明の記載の範囲を超えているといわざるを得ない。

   イ 審決の判断

 (ア) 種晶を用いた実施例2について

 本件明細書には,多形体Bの種晶を用いずに実施された実施例5及び実施例6の具体例が記載されているから,多形体Bの製造方法が不明であるとはいえない。そして,実施例2で用いた多形体Bの種晶は,実施例5や実施例6で製造されたものを用いればよいのであって,請求項1の実施例として意味がないとはいえない。

 (イ) 比較検討すべき実験の開示について

 比較検討すべき実験が開示されていないことは,特許法36条6項1号の「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」という要件の成否に直接関係しない。そして,本件明細書の発明の詳細な説明には,例えば,実施例4(粗精製物の析出開始温度が50℃未満の要件を満たす38℃であり,粗精製物の純度が85%以上の要件を満たす96.2%のもの)を利用する実施例5(再結晶時の析出開始温度が50℃以上の要件を満たす65℃のもの)の具体例において,BPEFの多形体B(示差走査熱分析による融解吸熱最大163.5℃)が得られたことが記載されている。

 (ウ) 実施例3の冷却条件について

 被請求人(被告)は,自らの出願に関する甲6の実施例9でいう「室温」とは「10℃」が事実であると説明しており,実験を行っていないとはいえない。そして,本件とは別の出願に係る甲6の記載内容によって本件特許の成否が左右されるべき合理的な理由はない。また,本件明細書の実施例3において冷却条件を「10℃まで冷却」とすることに不合理な点はない。

 (エ) 多形体Bが製造できる範囲について

 本件発明1の解決しようとする課題は,本件明細書の段落【0008】~【0009】の記載からみて,BPEFの結晶多形体の製造方法を提供することにあるものと認められる。

 そして,本件明細書には,特定の結晶多形体(本件発明7の多形体B)を得るための諸因子として,多形体を得やすい特定の触媒(【0013】),粗精製物の純度(【0027】),結晶溶媒の種類及び使用量(【0030】),再結晶化のための溶解温度や析出開始温度の条件(【0031】)の諸条件が詳細に説明されており,この中でも,触媒の種類(ヘテロポリ酸),粗精製物の純度(85%以上),結晶溶媒の種類(トルエンなど),再結晶時の析出開始温度(50℃以上)などが特に重要な因子として位置付けられ,請求項1の記載において発明特定事項とされている。

 また,本件明細書には,析出開始温度を「50℃以上」にした再結晶工程を踏んでいない実施例1,3及び4の3つの具体例において多形体Bが得られず,請求項1に記載された要件をすべて満たす実施例2,5及び6の3つの具体例において本件発明7の多形体Bが得られたことが記載されている。

 してみると,本件発明1が,発明の詳細な説明に記載された発明で,当該記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲にあることは明らかである。

 (オ) 請求項1~10の記載は,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載されているといえるから,特許法36条6項1号に適合する。

  (3) 無効理由2(実施可能要件違反)について

   ア 原告の主張

 本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,BPEFの製造方法に係る技術上の意義を当業者が理解するために必要な実験等の記載が開示されておらず,当業者が本件発明1~本件発明10の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるとはいえない。

 (ア) 本件明細書【実施例4】【0038】及び【実施例5】【0039】に記載された製造方法(実験No.2)の具体例並びに【実施例3】【0037】及び【実施例6】【0040】に記載された製造方法(実験No.3)の具体例は,多形体Bが製造できた実験例ではあるが,これらの実験と対比されるべき比較実験の記載がない。

 (イ) 粗精製物の析出開始温度の上限値を「50℃未満」とし,粗精製物の純度の下限値を「85%以上」とし,再結晶時の析出開始温度の下限値を「50℃以上」に設定することにつき,その技術的根拠が不明である。

 (ウ) 請求項1で規定された因子以外にも,攪拌速度や過飽和度等の様々な因子が多形体の制御に影響を与えることが知られており,他の制御因子の影響も考慮しながら多形体Bの製造を試みることは,当業者に過度の負担を強いるものである。

 (エ) 実施例3については,そもそも実施されていない可能性が高いので,請求項1に係る製造方法については実質的に実施例が1つしかないということになる。

   イ 審決の判断

 (ア) 比較検討すべき実験が開示されていなくても,本件明細書には本件発明1の具体例に相当する複数の実施例が記載されている。そして,当該実施例の開示により,当業者が本件発明1を実施できることは明らかである。

 (イ) 析出開始温度及び純度の上限又は下限の技術的根拠が明示されていなくても,本件明細書にはこのような析出温度及び純度の条件を満たす本件発明1の具体例に相当する複数の実施例が記載されている。そして,当該実施例の開示により,当業者が本件発明1を実施できることは明らかである。

 (ウ) 例えば,上記実験No.2では,原料,溶媒,触媒等の具体的な種類と使用量が明らかにされ,反応時や再結晶時の攪拌時間や温度制御などの条件も明らかにされている。このため,BPEFの結晶が析出する時点の溶液の濃度及び温度の条件(過飽和度の条件)については,本件明細書に具体的に開示されているといえるものである。そして,その攪拌速度などの様々な因子についても普通一般に想定されない特殊な条件でなければ実施できないと解すべき事情が見当たらない。してみると,本件発明1の実施に当たり当業者に過度の負担が強いられるとは認められない。

 (エ) 一般に溶解度は低温ほど小さくなることが多いから,目的物の収量を高めるために冷却温度を低めに設定することは当業者にとって普通のことであり,冷却条件として「10℃まで冷却」が不自然ともいえないので,本件の実施例3が実施されていないとはいえない。そして,少なくとも上記実験No.2では,原料,溶媒,触媒等の具体的な種類と使用量が明らかにされ,反応時や再結晶時の攪拌時間や温度制御などの諸条件も詳細に開示されている。してみると,本件明細書には当業者が本件発明1を普通に実施できる程度の諸条件が,明確かつ十分に記載されているといえるので,本件発明1の実施に当たり当業者に過度の負担が強いられるとは認められない。

 (オ) 本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件発明1~本件発明10の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえるから,特許法36条4項1号に適合するものである。

  (4) 無効理由3(進歩性)について

   ア 特開2007-23016号公報(甲6)に記載された引用発明の認定「フルオレノン,フェノキシエタノール,トルエンおよびケイタングステン酸を加え,得られた反応液からから析出により純度96.2%の9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶を得る方法。」

   イ 本件発明1と引用発明との対比

 (一致点)

 ヘテロポリ酸の存在下,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとを反応させた後,得られた反応混合物から9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンを析出させることにより純度が85%以上の9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を得る方法。

 (相違点ア)

 本件発明1においては,粗精製物の段階で「50℃未満でBPEFの析出を開始」させるのに対して,引用発明においては,粗精製物の段階における析出開始温度が特定されていない点。

 (相違点イ)

 本件発明1においては,「次いで,該粗精製物を芳香族炭化水素溶媒,ケトン溶媒およびエステル溶媒からなる群から選ばれる少なくとも1つの溶媒に溶解させた後にBPEFの析出を開始」させるという再結晶化の操作を更に行っているのに対して,引用発明においては,再結晶化の操作が更に行われていない点。

 (相違点ウ)

 本件発明1においては,再結晶化の段階で「50℃以上でBPEFの析出を開始」させているのに対して,引用発明においては,再結晶化の段階がなく,その段階における析出開始温度が特定されていない点。

   ウ 相違点アの判断

 甲6の実施例10と本件の実施例4は実験条件及び結果が実質的に同じであることから,引用発明においては,示差走査熱分析による融解吸熱最大104℃の多形体Aが38℃で得られているものと推認される。したがって,相違点アについて実質的な差異があるとは認められない。

   エ 相違点イの判断

 引用発明においてBPEFの新規な結晶多形体を得ようとする動機付けが,甲号証のすべての公知刊行物(「結晶多形の最新技術と応用展開-多形現象の基礎からデータベース情報まで-」(甲5),特開平10-45655号公報(甲9),特開平10-45656号公報(甲10),特開平9-255609号公報(甲11),特開2000-191577号公報(甲12),特開2005-104898号公報(甲13),「分かり易い晶析操作」(甲14))を精査しても示唆を含めて記載がなく,甲号証の公知刊行物によっては,当該動機付けが本件優先日前の技術水準において存在していたと認めるに至らない。甲6に示されている「再結晶」は,高純度化を目的とした精製操作をしたものであって,本件発明1のように結晶多形体の作り分けを目的とした操作ではない。そして,そもそも引用発明で得られたBPEFは十分に高純度であり,煩雑な精製操作を行わないことを目的とする引用発明において,再結晶の精製操作をわざわざ追加して行うべき積極的な動機付けがあるとは認められない。甲9及び甲10には,芳香族炭化水素溶媒であるトルエン等を晶析溶媒に用いてBPEFの粗精製物を再結晶化することが記載され,甲11~甲13には,トルエンを含む幅広い溶媒をBPEFの晶析溶媒に使用できることが記載されている。しかし,BPEFの新規な結晶多形体を提供するという課題の解決手段として,本件発明1の特定の晶析溶媒を選択的に使用することについては,甲6及び甲9~甲14並びに他の甲号証の公知刊行物に記載がなく,これが本件優先日前の技術水準において当業者の技術常識になっていたと認めるべき事情も見当たらない。

 よって,相違点イについては当業者が容易に想到し得たとは認められない。

   オ 相違点ウの判断

 甲号証のすべての公知刊行物を精査しても,再結晶化の段階で「50℃以上でBPEFの析出を開始」させることについての記載が示唆を含めて認められない。BPEFという特定の化学物質について新規な結晶多形体を得ようとする動機付けが本件優先日前の技術水準において存在していたと認めるに足りず,BPEFの新規な結晶多形体は多数の設定条件を様々に調整することによって初めて製造可能になったものである,したがって,相違点ウについては当業者が容易に想到し得たとは認められない。

   カ したがって,本件発明1は,引用発明及び周知技術に基づいて,又は引用発明及び甲9発明若しくは甲10発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとすることはできない。

   キ 本件発明2~本件発明6は,本件発明1において,更に技術的限定を付加したものである。また,本件発明10は,本件発明1の製造方法で製造されたBPEFの結晶多形体に関するものである。そして,前記のとおり,本件発明1を当業者が容易に想到し得たとはいえないから,本件発明2~本件発明6及び本件発明10は,当業者が容易に発明することができたとはいえない。

   ク 本件発明7及び8は,独立形式で記載された発明であり,本件発明9は本件発明8の従属形式で記載された発明である。請求人が,本件発明7~本件発明9について主張する無効理由3の具体的な内容は,本件発明1が引用発明と周知技術によって当業者が容易に想到し得た製造方法であるから,このような製造方法によって製造できる多形体Bを単に物性値で規定したにすぎない本件発明7~本件発明9は,本件発明1と同様,引用発明及び周知技術によって当業者が容易に想到し得た,というものである。しかし,前記のとおり,本件発明1を当業者が容易に想到し得たとはいえないから,本件発明7~本件発明9は,引用発明及び周知技術によって当業者が容易に想到できるものであるとはいえない。

  (5) 無効理由4(公然実施及び公知)について

   ア 公然実施

 ① 平成14年3月に,ロット02018~02021のBPEFを原告から●●●●●●株式会社(以下「α社」)に譲渡した取引(第1取引),②平成14年8月に,ロット420506のBPEFを原告からα社に譲渡した取引(第2取引),③平成14年10月及び平成15年5月に,ロット520701~520713のBPEFを原告からα社に譲渡した取引(第3取引),⑦平成15年1月に,ロット02023のBPEFを原告から●●●●●株式会社(以下「γ社」)に譲渡した取引(第7取引),⑧平成15年6月に,ロット02018のBPEFを原告からγ社に譲渡した取引(第8取引),⑨平成15年12月に,ロット520709のBPEFを原告からγ社に譲渡した取引(第9取引)は,存在自体は認められるものの,取引されたBPEF製品は本件発明7の多形体Bに相当するものであったと認めることができず,また,本件発明7の多形体Bに関する技術情報及び/又は取引に供された特定ロットのBPEF製品の技術情報については,各取引の関係者に守秘義務が存在していたと認められる。

 ④ 平成15年3月及び同年8月に,ロット630201~630213のBPEFを原告からα社に譲渡した取引(第4取引),⑤平成16年11月及び平成17年5月に,ロット0410010のBPEFを原告からα社に譲渡した取引(第5取引),⑥平成19年1月に,ロット0610208,0612242~0612244,0701246のBPEFを原告から株式会社●●●●●●●●●●●●●(以下「β社」)に譲渡した取引(第6取引),⑩平成14年7月に,ロット420506のBPEFを原告から三菱ガス化学株式会社(以下「δ社」)に譲渡した取引(第10取引),⑪平成14年5月に,ロット420510のBPEFを原告から●●●●●●●●●株式会社(以下「ε社」)に譲渡した取引(第11取引),⑫平成14年10月に,ロット420513,520706のBPEFを原告からε社に譲渡した取引(第12取引)及び⑬平成15年3月に,ロット630212のBPEFを原告からε社に譲渡した取引(第13取引)は,存在したと認めることができず,また,取引されたBPEF製品は,本件発明7の多形体Bに相当するものであったと認めることができず,さらに,本件発明7の多形体Bに関する技術情報及び/又は取引に供された特定ロットのBPEF製品の技術情報については,各取引の関係者に守秘義務が存在していたと認められる。

 以上のとおり,上記第1取引~第13取引によっては,本件発明7が,本件優先日前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明であって,特許法29条1項2号に該当するということはできない。

   イ 公知

 第1取引~第13取引のいずれにおいても,示差走査熱分析による融解吸熱最大が160~166℃であるBPEF製品が取引されたとは認められないので,当該取引先において本件発明7が「現実に知られた」とは認められない。

 してみると,本件発明7は,本件優先日前に日本国内又は外国において公然知られた発明であって,特許法29条1項1号に該当するということはできない。

   ウ したがって,本件発明7に係る特許が特許法29条の規定に違反してされたものであるということはできない。

第3 原告主張の審決取消事由

 1 取消事由1(サポート要件に関する判断の誤り)

  (1) 本件発明1に係るサポート要件の欠如

   ア 審決は,実験No.1の実施例2について,多形体Bの種晶を用いずに実施された実施例5及び実施例6が記載されており,実施例2の種晶はこれらの実施例で製造された多形体Bを用いればよいから,請求項1の実施例として意味がないとはいえないと判断した。

 しかし,種晶は結晶多形体に影響を与える主な制御因子の1つであるにもかかわらず,本件発明1は,種晶を発明構成要件としていない。種晶を用いた実験No.1の実施例2は,本件発明1の実施例ということはできない。

   イ 審決は,比較検討すべき実験が開示されていないことはサポート要件の成否に直接関係なく,実施例4の析出開始温度が50℃未満の要件を満たす38℃で,純度が85%以上の要件を満たす96.2%であり,実施例5の析出開始温度が50℃以上の要件を満たす65℃であり,これらの具体例で多形体Bが得られたことが記載されているから,サポート要件を充足すると判断した。

 しかし,審決のような判断手法であれば,任意に特許請求の範囲の数値範囲を拡大することができることになって不合理である。特許請求の範囲に規定された数値範囲外においては多形体Bが製造できないという比較例の開示がなく,各数値範囲の技術的裏付けがとれていない。

   ウ 本件明細書の粗精製物合成工程である実施例3及び4は甲6の実施例9及び10と,本件明細書の再結晶工程である実施例5及び6は甲2の実施例1及び2と同一であり(甲154),したがって,本件明細書における実施例3~8及び比較例1は,本件発明1が完成する前に実施された,技術思想や目的の異なる実験である。そして,甲2及び甲6に記載された実施例の内容に照らすと,特に実施例3の析出開始温度が「10℃」であるとの記載の信用性は著しく疑われ,サポート要件の立証責任は特許権者である被告にあり,実験ノート等の証拠により実験データの真正が立証されない以上,実施例3~8を基にサポート要件を充足するとの判断がなされるべきでないことは明らかである。

   エ 審決は,多形体Bを得る諸因子として,特定の触媒,粗精製物の純度,結晶溶媒の種類と使用量,再結晶化の溶解温度及び析出開始温度の諸条件が詳細に説明されていること,この中でも触媒の種類(ヘテロポリ酸),粗精製物の純度(85%以上),結晶溶媒の種類(トルエン等),再結晶時の析出開始温度(50℃以上)等が特に重要な因子として位置付けられ,本件発明1の発明特定事項とされていること,及び析出開始温度を「50℃以上」にした再結晶工程を踏んでいない実施例1,3及び4の3つの具体例において多形体Bが得られず,本件発明1に記載されたすべての要件を満たす実施例2,5及び6の3つの具体例において多形体Bが得られたことが記載されているから,本件発明1が発明の詳細な記載により当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲にあるのは明らかとする。

 しかし,審決が指摘する発明の詳細な説明の記載を検討すると,本件発明1の構成要件に整合する記載があることは認められても,①これらの諸因子を制御することで多形体Bが得られること,また,②BPEF粗精製物の析出開始温度(50℃未満),純度(85%以上),及び再結晶時の析出開始温度(50℃以上)で規定された数値範囲全体で多形体Bが得られることを,技術的・客観的に裏付ける記載を認めることはできない。

 本件明細書には比較例が1つもなく,本件発明1の5つの構成要件で多形体Bができると当業者が認識することはできず,ましてや本件発明1の3つの数値範囲全体で多形体Bが製造できると認識できるとは到底いえない。

  (2) 本件発明2~本件発明6に係るサポート要件の欠如

 本件発明2~本件発明6は,いずれも本件発明1に従属するものであるところ,本件発明2はフルオレノンと2-フェノキシエタノールの反応条件を,本件発明3及び本件発明4はヘテロポリ酸を,本件発明5及び本件発明6は再結晶時の溶媒を限定するものである。しかし,これらの限定を本件発明1の製造方法に加えたとしても,発明の詳細な説明の記載から,本件発明1の製造方法の5つの特徴構成より多形体Bが製造できると当業者が認識できない以上,これらの請求項に係る特許発明についてもサポート要件が充足されるとはいえない。

  (3) 本件発明7~本件発明9に係るサポート要件の欠如

 本件発明7~本件発明9に係るBPEFは,本件発明1に係る製造方法によって製造されるBPEFをその物性値によって特定したものであるが,本件発明1に係る製造方法がサポート要件を充足せず,当業者がどのように多形体Bを製造すればいいのかを認識できない以上,本件発明7~本件発明9で規定される物性値を持つ多形体Bをどのようにして安定的,選択的に得ることができるのかを当業者が認識することはできない。

  (4) 本件発明10に係るサポート要件の欠如

 本件発明10のBPEFは,その製造方法により限定したいわゆるプロダクトバイプロセスクレームとなっており,本件発明10に規定された製造方法は本件発明1に規定された製造方法と同一であるため,本件発明1がサポート要件を充足しない以上,本件発明10もサポート要件を充足することはない。

 2 取消事由2(実施可能要件に関する判断の誤り)

  (1) 本件発明1に係る実施可能要件の欠如

   ア 甲6と甲2の実施例から成る本件明細書の実験No.2及び実験No.3において,「原因」としての実験条件に設定されているものは,触媒のヘテロポリ酸と晶析溶媒の芳香族炭化水素溶媒等の2つのみであり,本件発明1の他の構成要件であるBPEF粗精製物の析出開始温度(50℃未満),純度(85%以上),及び再結晶時の析出開始温度(50℃以上)は,単なる「結果」としての測定値ということになる。

 したがって,本件明細書の実験No.2及び実験No.3は,本件発明1に規定された5つの構成要件を「原因」として実験条件に設定し,「結果」として多形体Bを得たという実験ではないから,たとえ実験No.2及び実験No.3により多形体Bが得られていたとしても,これらの実験が本件発明1で規定された製造方法に基づく実験でない以上,当業者が本件発明1を実施できると評価することはできない。

   イ 本件発明1の構成要件であるBPEF粗精製物の析出開始温度(50℃未満),純度(85%以上),及び再結晶時の析出開始温度(50℃以上)は,数値範囲で規定されているから,これらの数値範囲が実施可能要件を充足するためには,当該数値範囲が多形体Bを製造するという課題との関係でどのような技術上の意義を有し,数値範囲全体で課題である多形体Bの製造が可能であることが,発明の詳細な説明に記載されなければならない。

 しかし,審決は,数値範囲の上限又は下限の技術的根拠の明示は実施可能要件の判断に不要とし,発明の詳細な説明における当該数値範囲の技術的意義の認定を行わないまま,単に実施例の数値が本件発明1の数値範囲内にあることをもって実施可能要件を充足すると判断しており,失当であることは明らかである。

   ウ 本件明細書に記載された実験No.2は,本件発明1の構成要件を実験条件として実施した実験ではないから,そこに原料等の具体的な種類や使用量が明らかにされていたとしても,当該記載によって当業者が本件発明1の構成要件で規定された製造方法により多形体Bが製造できると評価することはできない。

 実験No.2で多形体Bができているとしても,ここで具体的に記載された実験条件のうち,どれが多形体Bの製造に関係する因子であるかは,比較実験がないため客観的に明らかになっていないし,実験No.2で測定されていない因子が多形体Bの製造に関係している可能性も考えられる。実際,本件優先日当時には結晶多形体の主な制御因子として知られていたもののうち,実験No.2では溶質温度,冷却速度,過飽和度,撹拌速度,pH等の数値が開示されておらず,本件明細書からこれらの因子の影響を評価することはできず,当業者が実施する上で極めて不十分な開示内容である。

   エ 審決は,実施例3~実施例8の析出開始温度に関する記載内容の真正について何らの判断もせず,記載内容が真正であることを前提としてこれらの数値を実施可能要件の判断の基礎にしており,失当というほかない。実験No.2に多形体Bが製造できる諸条件が記載されているとしても,実験No.2が本件発明1の記載の製造方法を実施したものではないから実施可能要件を充足すると判断できない。

   オ 実施例5には90℃でBPEF粗精製物をトルエンに溶解させることは記載されているものの,その後は溶液を温度制御することなく冷却させるだけであり,これを忠実に実施した結果,甲53の追試では多形体Bを生成することができなかった。また,65℃で結晶の析出が開始されたとする同実施例の実施時における過飽和度,冷却速度や撹拌速度等の諸因子の情報が,本件明細書に記載されていないため,当業者が温度制御もしない状況で,65℃で析出を開始させることなど,不可能であり,しかも,結晶多形体の生成に影響を与える制御因子として,析出開始温度のほかに,冷却速度,過飽和度,撹拌速度,pH,溶質温度等が主な制御因子として知られていたから,析出開始温度を65℃にしたところで,多形体Bが製造できるかどうかは依然不明である。

   カ 本件明細書の実施例3,4,9及び10は,本件発明1の製造方法に基づく実験ではなく,また,本件明細書の実施例3は甲6の実施例9と同一であるところ,甲6では「室温まで徐々に冷却し」だったのが,本件明細書では「10℃まで冷却し12時間撹拌した」と変更されていることから,実験内容が改ざんされている疑いが強いものである

  (2) 本件発明2~本件発明6に係る実施可能要件の欠如

 本件発明2~本件発明6は,いずれも本件発明1に従属するものであるところ,本件発明2はフルオレノンと2-フェノキシエタノールの反応条件を,本件発明3及び本件発明4はヘテロポリ酸を,本件発明5及び本件発明6は再結晶時の溶媒を限定するものである。しかし,これらの限定を本件発明1の製造方法に加えたとしても,審決がいうところの本件発明2~本件発明6の特定事項を満たす実施例は,本件発明1の構成要件であるBPEF粗精製物の析出開始温度(50℃未満),純度(85%以上),及び再結晶時の析出開始温度(50℃以上)を実験条件とした実施例ではなく,本件発明2~本件発明6の特定事項を満たす実施例といえない以上,これらの請求項に係る特許発明についても実施可能要件が充足されるとはいえない。

  (3) 本件発明7~本件発明9に係る実施可能要件の欠如

 本件発明7~本件発明9に係るBPEFは,本件発明1に係る製造方法によって製造されるBPEFをその物性値によって特定したものであるが,本件発明1に係る製造方法が実施可能要件を充足せず,当業者が発明の詳細な説明の記載により多形体Bを製造できない以上,当業者が本件発明7~本件発明9で規定される物性値を持つ多形体Bを製造できる程度に発明の詳細な説明に明確かつ十分に記載されているとはいえず,これらの請求項に係る特許発明についても実施可能要件を充足しないことは明らかである。

  (4) 本件発明10に係る実施可能要件の欠如

 本件発明10のBPEFは,その製造方法により限定したいわゆるプロダクトバイプロセスクレームとなっており,本件発明10に規定された製造方法は本件発明1に規定された製造方法と同一であるため,本件発明1が実施可能要件を充足しない以上,本件発明10も実施可能要件を充足することはない。

 3 取消事由3(相違点イ及びウに係る容易想到性判断の誤り)

  (1) 本件発明1に係る進歩性要件の欠如

   ア 相違点イに係る容易想到性判断の誤り

 (ア) 審決は,BPEFという特定の化学物質について新規な結晶多形体を得ようとする動機付けが存在していたとは認められないとした。

 しかし,甲57~甲60の公知刊行物には,BPEFのようなファインケミカル・機能性材料について,結晶形によって品質・工業的プロセスでの取扱い(ろ過特性,粉体流動性,嵩密度等の粉体特性や純度等)が異なることから,結晶多形体に着目し,結晶多形体を制御するための開発を行うことの重要性が随所に示されている。したがって,当業者は,BPEFのようなファインケミカル・機能性材料について,結晶多形体及びその製造条件を調べようと強く動機付けられるものといえる。

 (イ) 審決は,甲6に記載の再結晶は高純度を目的とするものであって,結晶多形体の作り分けを目的としたものではなく,甲6の実施例10で得られたBPEFは十分高純度であるから,煩雑な精製操作を行わないことを目的とする甲6において,再結晶の精製操作を追加して行うべき理由はないと判断した。

 しかし,高純度化を目的として結晶多形体を作り分けることは,甲14,甲58,甲60,甲86といった複数の公知刊行物に記載のとおり,周知な事項である。また,この周知の事項は,本件明細書の背景技術(従来技術)(【0003】)にも記載されている事項であり,実際に純度の観点から結晶多形体を作り分けている公開公報が,公知となっている(特開平5-132441号【0004】(甲67),特開2002-167358号【0004】【0006】(甲159),再公表特許WO98/316834頁5~16行目(甲160))。さらに,甲6の【0038】の実施例10で得られたBPEFの純度は96.2%であるが,本件優先日当時既に純度が99%以上のBPEF(例えば,甲9,【0026】の実施例1の99.5%,【0028】の実施例2の99.7%,甲11,【0024】の実施例1の99.5%,【0026】の実施例2の99.5%,【0030】の実施例4の99.4%)が知られており,純度が96.2%にすぎないBPEFを更に高純度化しようとする動機付けを認めることができる。

 審決は,甲6が煩雑な精製操作を行わないことを目的としているから,再結晶の精製操作をわざわざ追加して行うべき理由がないとするが,甲6において煩雑な精製操作を行わないのはイオウ分除去の目的であって,高純度化の目的ではない。また,甲6の【0025】には「また必要に応じて洗浄,吸着,水蒸気蒸留,再晶析などの精製操作を行うことができる」とあるように,甲6は再晶析による精製操作を排除するどころか,その必要性を示唆している

 結晶多形体を作り分けようとするのは高純度化の目的だけでなく,嵩密度等の粉体特性改善の目的でも行うことが周知であることは,甲5,甲14,甲57~甲60及び甲158の文献の記載から明らかである。したがって,高純度化ではなく,嵩密度等の粉体特性改善という周知な課題に基づいて,甲6の実施例10で得られたBPEFの粗精製物を用いて,結晶多形体を作り分けようとする動機付けも認められる。

 (ウ) 審決は,甲9~甲13には,BPEFの新規な結晶多形体を提供するという課題解決の手段として芳香族炭化水素溶媒であるトルエン等を使用するとの記載はないから,晶析溶媒として芳香族炭化水素溶媒であるトルエン等を選択することが容易想到でないとする。

 しかし,晶析操作によって結晶多形体を得ることは周知の手段であり,高純度化や嵩密度等の粉体特性改善という周知な課題に基づいて,BPEFの粗精製物を再結晶化する際に,甲9~甲13に記載された,BPEFにとって周知な溶媒として知られている芳香族炭化水素溶媒であるトルエン等を用いることは当然であって,これらの溶媒の使用を妨げる事由が存在しないことは明らかである。

 また,引用発明である甲6には,晶析溶媒に関して,反応溶媒をそのまま使用してもよいと示唆されており(【0025】),甲6の実施例10では反応溶媒としてトルエンが使用されていることから,当業者は,晶析溶媒としてまずトルエンを使用することは当然である。

 (エ) 上記のとおり,BPEFを含むファインケミカル・機能性材料分野において,高純度化や嵩密度等の粉体特性改善のために結晶多形体を作り分けるという周知の課題に基づいて,甲6の実施例10で得られたBPEFの粗精製物を再結晶化する際に,BPEFの晶析溶媒として周知なトルエン等を使用することは当業者にとって容易に想到できることであって,審決の相違点イに係る判断が誤りであることは明らかである。

   イ 相違点ウに係る容易想到性判断の誤り

 (ア) 審決は,BPEFという特定の化学物質に対して新しい結晶多形体を得ようとする動機付けが認められず,結晶の析出開始温度として「50℃以上」を設定することが容易に着想し得たとは認められないとし,さらに,BPEFの新しい結晶多形体は,本件発明1の5つの構成要件の設定条件を様々に調整して初めて得られたのであって,これらの設定条件の取捨選択と数値範囲の最適化は容易想到ではないとした。

 しかし,BPEFを含むファインケミカル・機能性材料の技術分野において,高純度化や嵩密度等の粉体特性改善のために結晶多形体を作り分けるという周知な課題が存在していたので,個々の化学物質ごとに結晶多形体を得ようとする動機付けの記載がなくても,当業者であれば周知な課題に基づいて結晶多形体を得ようと動機付けられるのは当然である。また,理論的に結晶多形体の予測をすることは困難であるから,できるだけ多くの条件で実験を行うことにより,結晶多形体を見い出すことが本件優先日当時の技術常識であった。したがって,新しい結晶多形体を見い出すために,甲3(12頁表1)で結晶多形体の主な制御因子の1つとして知られており,甲14に「結晶析出温度を高くあるいは低く設定」することが記載されて,周知の手段となっている析出開始温度の設定を当業者が試みることは当然というべきである。さらに,審決は,相違点ウの容易想到性の判断にもかかわらず,相違点ウ以外の他の4つの構成要件を含む本件発明1の5つすべての構成要件を持ち出して,これらの構成要件の取捨選択や数値範囲の最適化が困難を極めるという理由で,相違点ウが容易想到でないと判断しており,進歩性判断の枠組みを無視した独自の判断手法であって,失当である。被告が行ったのは,甲6の実施例9及び実施例10で既に合成してあったBPEFの粗精製物を,BPEFにとって周知の溶媒であったトルエンやキシレンに溶解し,この溶液を徐々に冷却,言い換えれば何の温度制御をすることもなく冷却して,多形体Bを得たというものであるから,甲6記載の引用発明に基づいて,相違点イのトルエン等の溶媒及び相違点ウの50℃以上の析出開始温度を容易に想到できたかどうかを判断すべきである。

 BPEFを含むファインケミカル・機能性材料分野において,高純度化や嵩密度等の粉体特性改善のために結晶多形体を作り分けるという周知の課題に基づいて,析出開始温度を設定するという周知な手段を適用し,析出開始温度を「50℃以上」に設定することは当業者が容易に想到し得るものであるから,審決の相違点ウに係る判断が誤りであることが明らかである。

 (イ) 本件明細書には嵩密度の測定方法が記載されていないから,多形体Aの約3倍と主張する多形体Bの作用効果を認めることはできず,多形体Bの嵩密度が認定されるとしても,結晶多形体の違いにより,嵩密度が1.5~6倍に変化することが知られているから(甲61~甲66),嵩密度が約3倍になったという本件発明1の効果が顕著なものということができない。

 (ウ) 再結晶時の結晶析出開始温度は溶液の濃度からおのずと決定されるところ,本件明細書の実施例は「温度制御を一切行わずに冷却」する方法であり,本件明細書の実施例5,6及び8と,甲9の実施例1及び2,並びに甲10の実施例1~3とを対比させると,最も溶液の濃度が低い本件明細書の実施例5でも結晶析出開始温度が65℃となっているから,同実施例5よりも溶液の濃度が高い甲9及び甲10の各実施例において,析出開始温度が50℃以上になっていたことは明らかであり,甲9の実施例1及び2,並びに甲10の実施例1~3に示されるBPEFに対する溶媒量を設定して,50℃以上でBPEFの析出を開始させることは,容易に想到できる。

  (2) 本件発明2~本件発明6及び本件発明10に係る進歩性要件の欠如

 本件発明1と引用発明との相違点イ及びウは,周知技術等に基づいて容易に想到できるものであるから,本件発明1は当業者が容易に発明することができたものであるところ,本件発明2~本件発明4の構成は甲6に記載されており,本件発明5及び本件発明6の構成は甲9発明等に記載された周知技術であるから,本件発明1同様,これらの発明も当業者が容易に発明することができるのは明らかである。また,本件発明10は本件発明1のプロダクトバイプロセスクレームであるところ,本件発明1が容易に想到できる以上,本件発明10も容易に想到できることは明らかである。

  (3) 本件発明7~本件発明9に係る進歩性要件の欠如

 本件発明1が当業者に容易に想到できるものであり,本件発明7~本件発明9は,本件発明1により製造できるBPEFの結晶多形体を多形体の特定方法として周知の方法である示差走査熱分析(甲85,101頁13行目)やX線回折(甲85,100頁下から2行目)を用いて特定したものであって,本件発明1同様,これらの発明も当業者が容易に発明することができるのは明らかである。

 4 取消事由4(公然実施及び公知)

  (1) 第1取引に関する取消事由(公然実施及び公知)

   ア 第1取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 (ア) 審決は,DSCチャート(甲30の3)の作成の真正を認めないが,これがα社の意思に基づいて作成されたことは明らかである。審決は,また,β社常務取締役●●●●●●の確認書(甲28),α社元従業員●●●●●●●●●の陳述書(甲126),α社元従業員●●●●●●●の陳述書(甲127)の信用性を否定するが,証拠評価を誤ったものである。

 (イ) 審決は,従来品(甲9,甲13,甲81,甲119,甲123,参考資料A,乙4の4の1)及びスペック案(乙4の13の4文書)の示差走査熱分析による融解吸熱最大が概して150℃以下の多形体Aの示差走査熱分析による融解吸熱最大範囲にあることからすれば,特別なスペックの取り決めもなく第1取引に関するロット02018~02021だけが別の示差走査熱分析による融解吸熱最大のものであったとするのは不自然であるとする。

 しかし,第1取引に関するロットだけが別の示差走査熱分析による融解吸熱最大(多形体B)のものであったという問題設定自体が誤りである。少なくとも第1取引~第13取引(審判請求書(甲133)別紙2参照)記載のとおり,当時,原告によって反復継続して多くの多形体Bが製造・販売されている。審決は,第1取引~第13取引を行ってきた期間において一貫して多形体Bを安定的に製造できる製法を用いて事業を行ってきたとの原告主張に対して,甲119に係る原告のホームページ(平成16年4月13当時)にてBPEF製品の示差走査熱分析による融解吸熱最大が「124~126℃」と記載されていたこと,甲27のロット610209のBPEFが多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大範囲に含まれていないことを指摘して,原告主張に係る事実を直ちに認めることができないとする。しかし,原告ホームページの記載については,原告常務執行役員A(「A」)が説明するとおり単純な誤りであった。また,甲27のロット610209のBPEFについては,試験製造ロットであったために多形体Bが製造されなかったにすぎない。

 よって,第1取引の対象物であるロット02018~02021に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第1取引の対象物である本件発明7の多形体B(発明内容)について,譲受人であるα社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはα社(α社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

 (ア) 審決は,「本件発明7の多形体Bの技術情報については,・・・乙6の3の『覚書』における3社会議の守秘義務が請求人(原告)及び大阪瓦斯株式会社(Y社)並びに●●株式会社(X社)…において存在したものと認められる。」と説示する。

 しかし,3社会議により議論がなされていた平成7年11月当時には,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。これに対し,本件発明に係る多形体Bは,一定の品質を維持した上で,多形体Aよりも工業的取扱いに有利なものとして説明されている物質である。乙4の13の1議事録に記載されたBPEFが本件発明の多形体Bに当たるものでない。そして,この3社会議による共同開発は,平成8年12月1日付けの乙5の4覚書(甲163)の締結により,終了したものである。

 原告が第1取引にて販売したBPEFは,原告が3社会議とは別に独自に開発したBPEFであるから,被告から守秘義務を課せられるものではない。

 (イ) 原告が平成14年当時に取引先であるα社との間で売買取引していたBPEFは,ポリマー原料としての商用品(完成品)であり,売買取引に伴って購入者であるα社に当該商用品の物性情報に関する秘密保持義務が課せられていなかった。

 審決は,第1取引においても,乙23の「取引基本契約書」に添付された「原料購買基本約款」における「第34条(秘密保持)」の項と同様の契約上又は信義則上の守秘義務が存在していたものと推認されるとし,守秘義務事項のある取引基本契約書が締結され,契約上又は信義則上の守秘義務が存在していたものと推認される第1取引について,その供給先であるX社グループ(X社及びα社)が「不特定」の第三者であるとは認められず,また,当該取引(各種の営業秘密を伴う取引)が「不特定」の第三者により発明の内容を知られ得る状態で実施されたと認めるに足る合理的な理由も見当たらないと説示する。

 しかし,そもそも乙23は原告が締結したものでなく,本件とはおよそ無関係な被告と被告取引先との契約書である。このような無関係の契約書の条項と同様の条項が原告と顧客との契約書に存在するとの推認には,何らの根拠がない。

 (ウ) 審決は,原告が提出証拠中の所定の部分にマスキングを施していることについて,BPEF(売買対象物)の物性情報について営業秘密に該当するとの考え方を示している。

 原告がマスキングを施しているのは,BPEFの物性情報に対してではなく,「BPEFの品質の良好性を見極めるべく,原告がいかなる品質検査項目に着目して品質検査をしているのか」という品質検査項目を競合他社である被告には進んで開示したくないからである。

 (エ) 審決は,原告が提出した平成26年3月31日付けの営業秘密に関する申出書では,本件特許の特許公報の発行によって既に公知となっているBPEFの物性情報(例えば,甲1の実施例6の163.3℃や比較例Aの118.8℃)と重複する技術情報でさえも「営業秘密」としていると指摘する。

 しかし,原告が営業秘密の申し出をしたのは,BPEFの物性情報が営業秘密に該当するからではなく,「3社会議においてやり取りされた当時の研究開発関連情報」は守秘義務の対象となるからである。

   ウ 第1取引により,本件発明7が公然知られたことについての認定判断の誤り

 審決は,特許法29条1項1号所定の公知発明に係る無効理由に関し,第1取引において示差走査熱分析による融解吸熱最大が160~166℃であるBPEF製品が取引されたとは認められないことを理由として,取引先において本件発明7が現実に知られたとは認められないと説示する。

 しかし,第1取引にて多形体Bが秘密保持義務を負担しないα社に販売され,かつ,当時α社に所属していた●及び●●が第1取引のBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を現実に測定することにより得たDSCチャートに基づいて,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大を知ったものである(甲126及び甲127)。よって,本件発明7の多形体Bは●及び●●に公然知られた。

  (2) 第2取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第2取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 審決は,第2取引の対象物であるロット420506に係るBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大測定を行った結果である甲33中の試験成績書について,当該試験成績書のみによっては,取引されたBPEF製品の特定ロットが本件発明7の多形体Bに相当するものであったとは認めることができないと判断するが,誤りである。甲33によれば,BPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大は162.3~163.8℃であり,本件発明7の多形体Bの実施品に該当する。

 よって,第2取引の対象物であるロット420506に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第2取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人である α 社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはα社(α社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (3) 第3取引に関する取消事由(公然実施及び公知)

   ア 第3取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 審決は,DSCチャート(甲35の3,甲35の8,甲42)の成立の真正が認められないとするが,誤りである。また,審決は,DSCチャート(甲42)記載の示差走査熱分析による融解吸熱最大を原告が測定した経緯が信用できないとするが,誤解である。

 さらに,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関して述べた内容と同様である。

 よって,第3取引の対象物であるロット520701~520713に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第3取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人である α 社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bは α 社(α 社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

   ウ 第3取引により,本件発明7が公然知られたことについての認定判断の誤り

 審決は,特許法29条1項1号所定の公知発明に係る無効理由に関し,第3取引について示差走査熱分析による融解吸熱最大が160~166℃であるBPEF製品が取引されたとは認められないことを理由として,取引先において本件発明7が現実に知られたとは認められないと説示する。

 しかし,公然実施に関する取消事由で述べたとおり,原告により第3取引において多形体Bが秘密保持義務を負担しないα社に販売され,その後,当時α社に所属していた●及び●●が,第3取引のBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を現実に測定して得たDSCチャートにより,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大を知ったものである(甲126,甲127)。よって,本件発明7は,●及び●●に公然知られた。

  (4) 第4取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第4取引がなされたことについての事実認定の誤り

 審決は,第4取引に関する証拠である甲47の1及び甲47の2について,原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正な成立が確認できなかったとするが,誤りである。これらの書証より,第4取引がなされたことを認定できる。

   イ 第4取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 審決は,甲45の試験成績書及び甲46のDSCチャートについては,作成の真正を証明する書類としての測定者の署名・押印がなされた書類が付属していないとして,文書の成立の真正が認められないとするが,誤りである。第4取引の対象物であるロット630201~630213に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第4取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人である α 社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはα社(α社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (5) 第5取引に関する取消事由(公然実施及び公知)

   ア 第5取引がなされたことについての事実認定の誤り

 審決は,第5取引に関する証拠である甲49の1,甲49の2及び甲49の4について,原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正な成立が確認できなかったとするが,誤りである。これらの書証より,第5取引がなされたことを認定できる。

   イ 第5取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての認定判断の誤り

 審決は,甲49の3のDSCチャートについて,第1取引に関して説示した内容と同様の理由を説示して,当該チャートによっては第5取引の対象物であるロット410010に係るBPEFが本件発明7の多形体Bに相当すると認めることができないとする。

 しかし,審決の説示は,第1取引に関して述べたとおり,いずれも誤っている。甲49の3のDSCチャートより,ロットの測定結果が多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大範囲に属するものと認定できる。また,甲28,甲126及び甲127の確認書及び陳述書の信用性を排斥した審決説示が誤っていることも,第1取引に関して述べたとおりである。

 よって,第5取引の対象物であるロット410010に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第5取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人である α 社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはα社(α社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

   エ 第5取引により,本件発明7が公然知られたことについての認定判断の誤り

 第5取引の当時,譲受人であるα社に所属していた●及び●●が,第5取引のBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を現実に測定して得たDSCチャートにより,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大を知った(甲126及び甲127)。●及び●●は,第5取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,原告のために秘密にする義務を負担していなかった。よって,本件発明7は,●及び●●に公然知られた。

  (6) 第6取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第6取引がなされたことについての事実認定の誤り

 審決は,第6取引に関する証拠である甲51の2及び甲51の4について,原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正な成立が確認できなかったとするが,誤りである。

 甲51の4より,原告が平成19年2月1日付けでβ社に対してロット0610208,0612242~0612244及び0701246に係るBPEFの試験成績表を送付書付きにて送付したことを認定できる。甲51の2及び甲51の4に加えて,甲51の3によれば,平成19年1月31日にβ社にロット0610208,0612242~0612244及び0701246に係るBPEF(5100kg相当)が納入され,かかるロットの取引がなされたことは明らかである。

   イ 第6取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 審決は,甲50のDSCチャートについて,作成の真正を証明する書類が付属していない,測定者の氏名が明らかにされていないなどと説示して,文書の成立の真正を否定するが,誤りである。

 甲50によれば,ロット0610208,0612242~0612244及び0701246に係るBPEFが本件発明7の示差走査熱分析による融解吸熱最大範囲に属していることを認定できる。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

 よって,第6取引の対象物であるロット0610208,0612242~0612244及び0701246に係るBPEFは,本件発明7の多形体Bに相当する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第6取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるβ社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはβ社(β社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (7) 第7取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第7取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲31の4のDSCチャートによれば,第7取引の対象物であるロット02023に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第7取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるγ社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはγ社(γ社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (8) 第8取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第8取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲30の3のDSCチャートによれば,第8取引の対象物であるロット02018に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第8取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるγ社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはγ社(γ社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (9) 第9取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第9取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲35の3のDSCチャートによれば,第9取引の対象物であるロット520709に係るBPEFが本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   イ 公然実施についての認定判断の誤り

 第9取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるγ社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはγ社(γ社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされといえる。

  (10) 第10取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第10取引がなされたことについての事実認定の誤り

 甲37の1~甲37の5より,原告が平成14年7月にδ社に対してBPEF100kg(ロット420506)を譲渡したことは明らかである。

   イ 第10取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲33によれば,第10取引の対象物であるロット420506に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第10取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるδ社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはδ社(δ社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

 被告は,特許権侵害訴訟(大阪地方裁判所平成22年(ワ)第9102号,知的財産高等裁判所平成24年(ネ)第10016号)において,原告がδ社に対して供給したBPEFを,δ社から譲渡を受けた上で,その示差走査熱分析による融解吸熱最大を分析し,原告のBPEFが本件発明7の技術的範囲に属する根拠としていた(甲27)。このように,原告が関知しない間にδ社から被告にBPEFが譲渡され,被告が示差走査熱分析による融解吸熱最大を分析していること自体,δ社が原告からBPEFを譲り受けた際に,原告から何ら守秘義務を課せられておらず,かつ,δ社もそのような認識がなかったことの証左である。

  (11) 第11取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第11取引がなされたことについての事実認定の誤り

 甲39の1及び甲39の2より,原告が平成14年5月にε社に対してBPEF1kg(ロット420510)のサンプルを譲渡したことは明らかである。

   イ 第11取引の対象物が,本件発明の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲33及び甲42によれば,第11取引の対象物であるロット420510に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第11取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるε社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはε社(ε社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

 まず,審決は,ε社の機能化学品部門長の●●●●が作成した確認書(甲38)について,当該取引に守秘義務が課せられていないことを確認するものではないと説示するが,甲38の確認書は,第11取引のロットに係るBPEFの取引が存することを立証する趣旨で作成・提出されたものであるから,上記説示は全く無意味である。

 次に,審決は,原告からBPEFの譲渡を受けたα社,β社,γ社及びδ社がいずれも守秘義務を課せられていないとの事実が認められないことを根拠として,ε社も守秘義務を課せられていないとの事実が認められないと説示するが,α社~δ社が原告からBPEFの譲渡を受ける際にBPEFの物性について秘密保持義務を課せられていなかったのであるから,この点についての説示も誤りである。

 さらに,審決は,新日鐵化学株式会社(「新日鐵化学」)が提供しているBPEFの多形体Aの物性に関する技術情報は甲81のパンフレット等に開示されるように既に公知となっていたので,X社が新日鐵化学に対して守秘義務を負っていないことに不自然な点はないところ,この多形体Aの事例によっては本件発明7の多形体Bの事例の守秘義務の有無を推論できないと説示する。

 しかし,新日鐵化学がBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大に係る物性情報を平成8年2月以前よりパンフレットに記載していたという事実は,とりもなおさず,製造販売する製品としてのBPEFの物性情報についてBPEFメーカーが取引先(例:X社)に対して秘密保持義務を課していないことの証左であり,この理は結晶形によって異なるものではない。

  (12) 第12取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第12取引がなされたことについての事実認定の誤り

 甲40の1及び甲40の2より,原告が平成14年10月にε社に対してBPEF100g(ロット420513及び520706)のサンプルを譲渡したことは明らかである。

   イ 第12取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲33,甲35の8,甲42によれば,第12取引の対象物であるロット420513及び520706に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第12取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるε社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはε社(ε社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (13) 第13取引に関する取消事由(公然実施)

   ア 第13取引がなされたことについての事実認定の誤り

 甲41より,原告が平成15年3月にε社に対してBPEF1kg(ロット630212)のサンプルを譲渡したことは明らかである。

   イ 第13取引の対象物が,本件発明7の多形体Bに相当することについての事実認定の誤り

 甲42及び甲46によれば,第13取引の対象物であるロット630212に係るBPEFが,本件発明7の多形体Bに相当する。

 また,審決による「従来品やスペック案のBPEFの物性との関係」に関する説示も,第1取引に関する説示と同旨であり,かかる説示の誤りも第1取引に関する内容を援用する。

   ウ 公然実施についての認定判断の誤り

 第13取引の対象物である本件発明7の多形体Bについて,譲受人であるε社が原告のために秘密にする義務を負担しておらず,本件発明7の多形体Bの売買取引により,本件発明7の多形体Bはε社(ε社に属する不特定の者を含む。)に知られ得る状態におかれたものであって,公然実施をされたといえる。

  (14) 多形体Bの取引の公然性を基礎付ける関連事情

 原告製の多形体Bに係るBPEFをJFEケミカル株式会社を介して購入していた東京化成工業株式会社(「東京化成」)は,遅くとも2003年12月以降,当該BPEFを試薬として公然と販売しており,このことからも,原告の取引先が多形体Bについて秘密保持義務を負っていなかったといえる。

第4 被告の反論

 1 取消事由1に対し

  (1) 原告は,実施例2において種晶を用いなかった場合に多形体Bが得られるかどうかが不明であるから,実施例2は本件発明1の実施例ということはできず,それに基づいてサポート要件充足性を判断することは不当である旨主張する。

 しかし,種晶を添加する技術的意味は,結晶を効率よく析出させることであって,種晶を添加したからといって,種晶を添加しない場合に析出し得ない結晶形が析出するわけではないし,析出開始温度が変化するわけでもない。原告は,実施例2において,種晶を添加しなかった場合は多形体Bが析出するか否かは分からないかのような主張をするが,この主張は技術的に誤った主張であり,しかも,本件発明1は種晶の添加を排除していない。したがって,審決が実施例2を本件発明1の実施例と認定したことに誤りはない。

  (2) 原告の主張は,再結晶化工程における多形体Bの生成の機序を完全に解明したような記載がなければサポート要件は満たされないことを前提としている。

 しかし,サポート要件は,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであるから,多形体Bの生成の機序を解明したような記載は必要ない。本件明細書には,実施例2,5及び6として,多形体Bの生成の溶媒,析出開始温度,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大,嵩密度,収率や純度が記載され,一般的な説明として,触媒,粗精製物の純度,溶媒の種類及び使用量,再結晶化のための溶解温度や析出開始温度の条件について詳細に記載されている。その上,比較例1では,該粗精製物を,本件発明1で特定した「芳香族炭化水素,ケトン溶媒およびエステル溶媒から選ばれる少なくとも1つの溶媒」には該当しない「メタノール」を用い,しかも,本件発明1で特定した「溶解」ではなく「懸濁」との条件では,多形体Bを得ることができないことを示したものである。当業者は,比較例1で多形体Bが生成されなかった理由は,本件発明1で特定した「溶媒」を用いておらず,「懸濁」したことに起因すると理解する。

 原告は,本件明細書に実施例がわずかしかないとか,比較例がないなどと主張するが,原告ないし原告の関係会社であるY社の特許出願に限ってみても,実施例や比較例が乏しい発明が登録されており(乙13,乙33の1~4),実施例や比較例の数のみによってサポート要件が判断されるものではない。

  (3) 原告は,本件明細書の実施例3及び4と同一実験である甲6の実施例9及び10において析出開始温度が記載されていないことなどを根拠に,本件明細書の実施例3に疑義がある旨主張する。しかし,実験の詳細なデータを実験ノートに記録するのは実験者の常であり,結晶の晶析工程を含む実験では,溶液の冷却開始温度,結晶析出開始温度等を記録することは当然である。これらの実験データを解析して,どのパラメータが関与するのか等の考察を繰り返し,それにより得られた技術的思想を発明として出願するのである。甲6の引用発明では,析出開始温度等は関係しないと考えたため,明細書に記載しなかったまでのことであるから,原告の上記主張は失当である。

  (4) 本件優先日当時,多形体Aは周知の結晶形であり,引用発明のほか,種々の製法が知られており,甲13では,得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大が150℃未満(甲13の【0062】)であることから,本件発明の多形体Bは生成されていないが,BPEFの結晶析出開始温度につき,「適当な温度(例えば,-10℃~30℃,特に0~30℃程度)に冷却することにより結晶を析出させる…」(甲13の【0058】)とされている。すなわち,粗精製物の組成,溶媒等が同じであっても,再結晶化工程における析出開始温度が「50℃未満」の場合には多形体Bは生成されない。

 2 取消事由2に対し

  (1) 実施可能要件で問題となるのは,技術常識を前提とした当業者の明細書の記載の認識に基づいて,発明の実施が過度な負担なく可能か否かということである。したがって,多形体Bを製造する諸因子が不明であるとか,数値範囲が技術的・客観的に説明されていない等の原告主張は,実施可能要件の判断要素ではない。本件明細書には,実施例1(粗精製物合成工程)及び実施例2(再結晶化工程),実施例4(粗精製物合成工程)及び実施例5(再結晶化工程),実施例3(粗精製物合成工程)及び実施例6(再結晶化工程)とい

った3通りの具体的な製造方法及び得られた多形体Bの量,収率,純度のほか,示差走査熱分析による融解吸熱最大及び嵩密度が開示されている。これらの開示に出願当時の技術常識を加味すれば,当業者が本件発明1の多形体Bを製造できることは明白である。

  (2) 原告は,結晶の析出開始温度を特定しない発明である甲6の実施例9及び10を本件明細書でも粗精製物合成工程の実施例3及び4として利用していることから,実施例3及び4に再結晶化工程である実施例6及び5をそれぞれ組み合わせた実験は,本件発明の実施例とはいえない旨主張する。しかし,甲6の実施例等に挙げた実験において,その結晶析出開始温度等は記録されており,この記録に基づいて析出開始温度を明記した本件明細書の実施例としたのであるから,本件発明の実施例であることは明らかである。

 3 取消事由3に対し

  (1) 本件発明1について

   ア 相違点イについて

 原告は,ファインケミカル・機能性材料,合成樹脂モノマーについて結晶多形体の探索が課題となっていたため,BPEFについて結晶多形体及びその製造条件を調べることに動機付けがあった旨主張する。

 しかし,BPEFはポリマー合成時に溶融重合ないし溶液重合して結晶形をとどめなくなることから,異なる結晶形の存在について当業者が意識することも,異なる結晶形を製造しようとする課題もなかった。原告が合成樹脂モノマーの結晶多形体に関する発明として挙げた文献のうち,唯一,新規結晶形を提供する甲70は,合成樹脂モノマーとしてではなく,樹脂安定剤や酸化防止剤として新規結晶形を得た発明であって,専らポリマーとして用いられるBPEFとは異なる。原告が挙げた甲67はポリカーボネートの原料モノマーであるビスフェノールAを従来よりも高純度で得る精製方法に係る発明,甲68及び甲69は公知のビスフェノールAを用いて従来よりも色調の良好な芳香族ポリカーボネートを製造する方法に係る発明であって,いずれも新規な結晶形を得る発明ではない。このとおり,ポリマーの原材料として使用するモノマーに係る発明で,結晶多形体の探索及び異なる結晶形の創製が周知の課題となっていたということはできない。

   イ 相違点ウについて

 (ア) 原告は,引用発明に,結晶化に係る温度,溶媒等の一般的な知見を加味すれば,本件発明1は容易に想到し得るものである旨主張する。

 しかし,上記アのとおり,引用発明の課題は高純度化であって本件発明1とは異なるし,原告が主張するような一般的知見から進歩性を欠如するとするなら,ほとんどの新規物質やその製造方法の発明は進歩性を欠如するということになり,原告の主張は失当である。BPEFの新規な結晶多形体は,単に多形を得るための再結晶化に際して結晶析出温度を高く又は低く設定することのみによって得られたのではなく,多数の設定条件を様々に調整することによって初めて製造可能になったものである。これら多数の設定条件の取捨選択と数値範囲の最適化の試行錯誤は,当業者といえども相当の困難を極めることであり,相違点ウに関する審決の判断に誤りはない。

 また,従来の多形体Aの嵩密度が「0.23g/cm3~0.26g/cm3」であるのに対して,本件特許の新規の多形体Bの嵩密度は「0.70g/cm3~0.78g/cm3」であって,約3倍の嵩密度を有するという,「顕著な効果」を有している。すなわち,重量当たりの体積が従来の多形体Aの約1/3であることから,例えば,仕込み操作等においても,多形体Aでは3回の操作が必要であったのに対して多形体Bでは1回の操作で済むという効果(有用性)があり,また,輸送・貯蔵でも効率化が図られ,殊に工業規模での取扱い時に極めて有利となり,単に結晶構造が変われば嵩密度も変わる可能性があるというような一般的,抽象的な予想ではない。従来の多形体Aの約3倍も嵩密度が高くなることは,多形体Bを生成して初めて分かることであって,本件発明1は,当業者といえども予測できない顕著な効果を奏する発明である。

 (イ) 結晶性の物質(基質)が溶けている溶液を冷却していき,該溶液を飽和状態から過飽和状態,更に高過飽和状態にすることで「核」を発生させ,その「核」が成長することで結晶の析出が始まるから,基質の濃度が同じであれば,常に同じ温度で核が発生するというものではない。また,結晶の析出開始温度が分かっている基質の場合は,保温するなどして該温度範囲を維持した状態にするほか,該基質の濃度,溶媒の種類,晶析操作開始時の溶液の温度,基質の調製方法による不純物(夾雑物)組成の調整によって,析出開始温度を制御するのが一般である。

 さらに,結晶の析出開始温度は,必ずしも溶液の濃度のみに依存するものではなく,本件発明の実施例5よりも,甲9の実施例1のBPEFの濃度の方が高いにもかかわらず,甲9の実施例1の結晶析出開始温度は「42.8℃」で本件発明の実施例5の「65℃」より低い温度になっており(乙37),同様に,本件発明の実施例6及び8よりも,甲13の実施例1のBPEFの濃度の方が溶液濃度が高いにもかかわらず,甲13の実施例1での結晶の析出開始温度は「40.5℃」であり,本件発明の実施例6の「70℃」,実施例8の「72℃」より低い析出開始温度となっている(乙38)から,原告の,濃度により結晶析出開始温度は「おのずと決定される」旨の主張や,甲9及び甲10の各実施例でも結晶析出開始温度は50℃以上になっていた旨の主張は,技術的に誤っている。

 さらに,本件発明1は,「基質の濃度」等を請求項では特定していないことから,必ず多形体Bが析出するとは限らないので,「50℃以上で…析出を開始させる」として,端的に析出開始温度を特定したのである。すなわち,多形体Bの析出開始温度を制御していることにつき,本件明細書の【0031】では,「50℃以上」の温度で析出を開始するよう制御することを一般的に説明しており,この記載は,50℃以上の温度を維持して結晶析出を待つことだけでなく,諸条件を満たすことにより所定の温度で結晶の析出を開始させることでもあり,これに接した当業者が,析出開始温度の制御は行われていないなどと認識することはあり得ない。

  (2) 本件発明2~本件発明10について

 原告は,本件発明1が容易想到であることを理由に,本件発明2~本件発明10も容易想到であると主張する。しかし,上記のとおり,本件発明1が容易想到であるといえないから,本件発明2~本件発明10も容易想到であるとはいえない。

 4 取消事由4に対し

  (1) 第1取引~第13取引で販売されたのが多形体Bではないこと

 原告は,平成8年当時,本件発明の多形体Bの製法を完成し,α社等に販売していたと主張する。Aの陳述書(甲24)においては,甲21のB社の製法もトルエン加水分解法であるから,示差走査熱分析による融解吸熱最大160~166℃のBPEFが製造された(6頁19~23行)とか,合成過程における一段合成法と精製過程におけるトルエン加水分解法が平成8年7月頃に確立したことから,同年11月から翌年にかけてA社で大規模な実験を実施し,これにより14トンのBPEFが製造された旨(7頁1~11行)の陳述がある。

 しかし,「一段合成法」と「トルエン加水分解法」を用いたとしても,多形体Bが生成されるとは限らない。このことは,Y社が平成15年9月30日に出願した特開2005-104898号(甲13)によれば,「一段合成法」と「トルエン加水分解法」を用いて,150℃に溶解する生成物,つまり,多形体とは違う物質が得られていることからも明らかである。

 また,原告ホームページでBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を「158~165℃」(乙11の2)とした平成19年12月20日以前は,多形体Bの製法は完成していない。平成8年7月当時,「一段合成法」と「トルエン加水分解法」が完成し,多形体Bの製法が完成していたなら,平成16年2月14日以降の原告ホームページ(乙11の1)において,BPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を「124~126℃」として,多形体Aの示差走査熱分析による融解吸熱最大を表示するはずはないのである。

 したがって,原告が平成8年当時,本件発明の多形体Bの製法を完成し,第1取引~第13取引で販売したとは認められない。

  (2) 第1取引~第13取引の相手方は守秘義務を負担していたこと

   ア 第1取引~第13取引が,共同開発によるサンプル提供であること

 各取引における取引量は,①α社との第1取引~第5取引(平成14年3月から平成17年5月までの約3年間)では,提供された多形体Bの合計は9558.2kgであるが,0.2~0.4kgが多く,最大でも900kg(甲30の4・5)にすぎない,②β社との第6取引(提供は1回)では,提供された多形体Bの合計量は5100kg(甲51の4枚目)にすぎない,③γ社との第7取引~第9取引(平成15年1月から12月の1年間)では,提供された多形体Bの量は合計140kg(甲31,甲32及び甲36。枝番の書証を含む。)にすぎない,④δ社との第10取引(提供は1回)では,提供された多形体Bの量は100kg(甲37,前同)にすぎない,⑤ε社との第11取引~第13取引(平成14年5月から平成15年3月までの約10か月間)では,提供された多形体Bの量は合計2.2kg(甲39~甲41,前同)にすぎない。これは,商業的取引の段階では取引量,すなわち,モノマーであるBPEFのポリマー合成会社への提供量は,年間少なくとも数百トン単位になることと比べて,少量である。

 また,多形体Bは,α社,γ社,δ社,ε社の開発部署あてで「サンプル」として送付されている。

 ε社との第12取引では,3種類のロットが提供されているが,このように製造日も異なり,品質も異なると考えられる製品を,商業的生産のために提供するとは考えられない。また,γ社との第9取引の甲36の2では,「BPEF-K」(60kg)が提供されているが,その請求書である甲36の5では,「BPEF-K」(60kg)のほか,「BPEF」(40kg)も提供されたことになっている。仮に「BPEF-K」が多形体Bであるなら,「BPEF」は多形体Aであると考えられる。このことは,δ社との第10取引においても同様である。原告が提供したBPEFには,多形体Bのほか,示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大のピーク)が3つ(117.9℃,127.6℃及び152.9℃)ある多形体混合物(ロット番号0610209)が含まれている(乙16)。つまり,原告のBPEFの提供は,規格,品質を一定にして供給する商業生産段階の提供ではなく,共同開発段階のサンプル提供であることを裏付けるのである。

 原告ないしY社は,ポリマー合成会社であるX社及びその関連会社,γ社及びε社,更には,モノマー製造会社であるフルファインの関連会社JFEケミカルと,共同出願等(出願後の権利移転を含む。)をしている(乙7の1~4,乙8の1及び2,乙9の1~8,乙10の1及び2)。このような共同出願は,共同開発の成果として出願されることが一般である。

   イ α社,β社の契約上の守秘義務

 (ア) X社,Y社及び被告がBPEFを共同して開発した(「3社共同開発」)当初である平成5年9月21日,被告は,X社,Y社及び原告との間で覚書(本件覚書。乙6の3)を締結した。

 その内容は,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●との内容であり(第1条,第2条),●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●(第3条)。現在まで,書面による意思表示がないため,本件覚書は現在も有効に存続している。

 3社共同開発の会議において,被告が,X社,Y社及び原告に対して,平成7年4月5日に開示した「BPEF合成合理化検討(Ⅱ)」(乙4の11の2の3枚目)及び同年11月13日に開示した示差走査熱分析による融解吸熱最大160~165℃のBPEF(多形体B)に係る情報は,本件覚書の守秘義務の対象となる情報である。

 (イ) α社は,平成8年10月1日設立のX社の100%子会社であるが,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●,その光学用ポリエステル事業の営業譲渡(現行の事業譲渡)を受けたのがβ社である。

 したがって,X社の100%子会社であるα社は,本件覚書の守秘義務を負担し,また,該覚書に係る事業につき営業譲渡を受けたβ社も,本件覚書の守秘義務を負担すると考えられる。

 (ウ) 原告又はY社が,本件発明1とは異なる多形体Bの製法を独自に開発(発明)したとの立証は,原告において一切なされていない。

 仮に,原告又はY社が,被告の開示した上記技術情報に基づき生成した多形体Bを,第1取引~第6取引でα社及びβ社に供給していたとすれば,α社及びβ社は本件覚書に基づく契約上の守秘義務を負担することになる。

   ウ α社等の信義則上の守秘義務

 α社及びβ社が上記の契約上の守秘義務を負担しないとしても,上述したように,α社及びβ社はX社と同様,原告ないしY社とBPEFを原材料とするポリマーの共同開発をなしていた。γ社,δ社及びε社も同様である。

 これら共同開発の当事者間では,開発の成果たる技術情報について,仮に,契約等の明示の合意がないとしても,信義則上の守秘義務を相互に負担すると解される。よって,原告が主張する第1取引~第13取引のα社等5社は,信義則上の守秘義務を負担するから,提供された多形体Bに係る示差走査熱分析による融解吸熱最大等の情報は,不特定の第三者が知り得べき情報に該当しない。

 したがって,第1取引~第13取引によって,本件特許の請求項7の発明が公然実施又は公知の発明とはなり得ない。

   エ 原告も守秘義務を負っていると認識していること

 (ア) 物性情報について

 審決は「また,一般に競合者に知られたくない情報は『営業秘密』に相当し,秘密扱いとすることが関係者間に暗黙のうちに期待されるといえるから,甲30の2の『試験成績表』の物性情報に関する欄にマスキングを施した第1取引について,信義則上の守秘義務が課せられていないと直ちに認めることはできない。」と正しく認定した。

 そして,Aも審判の証人尋問において,「物性そのものに守秘義務はありません。」(甲142の18頁の尋問143)と証言しながら,例えば,甲51の4についての試験項目や物性値については回答できないとして,その理由として「嫌であります。」といった理由にならない証言をしているのである(甲142の17~18頁の尋問131~135)。

 (イ) 閲覧等制限の申立について

 原告は,審決の上記認定に対し,本件訴訟において第1取引~第13取引に対する試験成績表の大部分のマスキングを外した証拠を提出した(甲166~甲178)。

 しかし,すべてのマスキングを外していない点において,原告は,本件訴訟のため,β社等の各社に対して守秘義務の解除を依頼し,同意が得られた部分のみを開示したことが強く推認される。加えて,原告は,本件訴訟に関連する平成26年10月17日付訴訟記録閲覧等制限の申立書の申立ての理由において「御庁頭書事件に関し,本申立書別紙における『該当書面』欄掲記の各書面における『閲覧等制限箇所』により特定される黒塗り部分には,…記載されている。これらの内容は,原告の事業活動に有用な経済的価値ある情報であるとともに,原告において秘密として管理されており,公然と知られていない。したがって,上記の情報は『営業秘密』(…)に該当するから,原告は,当該情報を含む記載部分に関し,…決定を求める次第である。なお,上記黒塗り部分が営業秘密に該当することについては,平成26年9月1日付け訴訟記録閲覧等制限の申立てに関して提出した疎明資料(疎甲第1号証)にて示したとおりである。」として,甲166~甲178に記載された分析項目や分析結果等の物性値について,公然と知られておらず,営業秘密であるとして黒塗りしているのである。

 このように,BPEFの物性値については,原告も取引先との間で少なくとも信義則上の守秘義務を負っていると認識していることは明白である。

 なお,「トルエン加水分解法」は,原告が最初に想到した製法ではなく,被告が3社共同開発中に想到し,原告らに開示した製法技術である。また,「一段合成法」と「トルエン加水分解法」とを用いても,それだけではBPEFの多形体Bは生成しない。

  (3) 原告は,東京化成との取引が,第1取引~第13取引の相手方が取引対象物の物性について守秘義務を負わないことを立証するための間接事実となると主張するが,東京化成との取引が商業的取引であったとしても,第1取引~第13取引が共同開発による取引であることと矛盾しないから,東京化成との取引は,第1取引~第13取引の相手方が取引対象の物性について守秘義務を負わないことを立証するための間接事実とはなり得ない。また,原告は,当該取引において,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大が初めて記載された「製品安全データシート」が発行されるまで,東京化成に対し,その販売及び示差走査熱分析による融解吸熱最大等の情報の公表を控えさせたものと考えられる。

第5 当裁判所の判断

 1 取消事由1(サポート要件に関する判断の誤り)について

  (1) 特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。そして,特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合することは,当該特許の特許権者が証明責任を負うと解するのが相当である。

  (2) 本件発明について

 本件特許請求の範囲は,上記第2の2に記載のとおりであるところ,本件明細書(甲1)には,以下の記載がある。

 【技術分野】

 【0001】本発明は,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの新規結晶多形体,およびその製造方法に関する。

 【背景技術】

 【0002】近年,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンなどのフルオレン誘導体は,耐熱性,透明性に優れ,高屈折率を備えたポリマー(例えばエポキシ樹脂,ポリエステル,ポリエーテル,ポリカーボネート等)を製造するための原料として有望であり,光学レンズ,フィルム,プラスチック光ファイバー,光ディスク基盤,耐熱性樹脂やエンジニヤリングプラスチックなどの素材原料として期待されている。

 【0003】これらの用途において熱的,光学的に優れたポリマーを作るためには,高い分子量,狭い分子量分布および未反応モノマーやオリゴマー含有率が低いことが重要であり,原料モノマーである9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンが高純度で反応性に優れていることが望まれる。このため,原料モノマーの純度や反応性に大きく影響を与える結晶形や示差走査熱分析による融解吸熱最大を制御することはより優れたポリマーを得るための重要な因子である。またポリマーの製造において優れた性能を維持し,より安定した製造を行うためには一定の品質を維持できる特定の結晶形を作り分けることが必要であった。

 【0004】ところで,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの製造方法としては,硫酸とチオール類を触媒としてフルオレノンとフェノキシエタノールを脱水縮合させる方法(特許文献1),9,9-ビス(4-ヒドロキシフェニル)フルオレンとエチレンカーボネートを反応させる方法(非特許文献1)が開示されている。また,我々はその製造法とは別異の新規な製造方法について出願した(特許文献2)。しかし特許文献1には,本発明に係る化合物の精製方法について記載されており,非特許文献1には本発明に係る化合物の示差走査熱分析による融解吸熱最大が126~128℃である旨記載されているが,該化合物について異なる結晶多形体が存在すること,又異なる結晶多形体間の関係或いは工業的実施のために必要なそれぞれの結晶多形体の製造方法等の一定の品質を維持するための情報がこれまで全く知られていなかった。

 【発明が解決しようとする課題】

 【0008】本発明の目的は,一定の品質を維持し,ポリマー原料として優れた9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの新規な結晶多形体を提供することであり,また,その結晶多形体の製造方法を提供することにある。

 【課題を解決するための手段】

 【0009】本発明者らは,前記課題を解決すべく鋭意検討した結果,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンには,従来から知られている融解吸熱最大が示差走査熱分析で100~130℃である結晶多形体(以下多形体Aと称する)の他に,融解吸熱最大が示差走査熱分析で150℃~180℃である新規な結晶多形体(以下多形体Bと称する)が存在する事を見出した,また,本発明者らは,かかる多形体Bを選択的に得る製造方法を見出すことにより本発明を完成するに至った。

 【発明の効果】

 【0011】本発明によれば,一定の品質を維持し,ポリマー原料として優れた9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの新規な結晶多形体およびその製造方法を提供することができる。また,本発明により得られる多形体Bは,公知の多形体Aよりも嵩密度が高いため,容積効率等の点で工業的な取扱いに有利である。

 【発明を実施するための最良の形態】

 【0012】まず,酸触媒の存在下,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとを反応させることにより9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を得る方法について説明する。

 【0013】本発明においてフルオレノンと2-フェノキシエタノールとを反応させる場合,酸触媒として,…酸触媒由来の不純物の生成が少なく,実質的に単一な多形体を得やすいことからヘテロポリ酸が好ましい。

 【0016】…ヘテロポリ酸として,具体的には,リンモリブデン酸,リンタングステン酸,ケイモリブデン酸,ケイタングステン酸,リンバナドモリブデン酸などが例示される。

 【0019】ヘテロポリ酸の使用量は…,充分な反応速度を得るには,フルオレノンに対して,0.0001重量倍以上,好ましくは0.001~30重量倍,更に好ましくは0.01~5重量倍である。

 【0020】本発明における2-フェノキシエタノールの使用量は,…副反応抑制及び経済性の点から,通常,フルオレノン1モルに対して,2~50モル,好ましくは2.5~20モル,さらに好ましくは3~10モルである。また,2-フェノキシエタノールを反応溶媒として用いることもできる。

 【0021】フルオレノンと2-フェノキシエタノールとの反応を実施する方法は,…通常,フルオレノンと2-フェノキシエタノールとヘテロポリ酸を反応装置に仕込み,空気中又は窒素,ヘリウムなどの不活性ガス雰囲気下,トルエン,キシレンなどの不活性溶媒存在下又は非存在下で加熱撹拌することにより行うことができる。…

 【0025】反応後,得られた反応混合物は,…通常,洗浄,濃縮,希釈,活性炭処理等の後処理を施した後に,50℃未満で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンを析出させる。…上記の後処理を施された反応混合物から9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンを析出させる操作は,必要により溶媒と混合された反応混合物を50℃以上,溶媒の沸点以下(好ましくは70~110℃)とし,これを50℃未満に冷却することにより実施される。…

 【0026】冷却終点の温度は,50℃未満であれば特に限定されず,通常-20~49℃,好ましくは0~40℃,より好ましくは10~30℃である。冷却速度も特に限定されず,通常,毎分0.01~2℃,好ましくは,毎分0.1~0.5℃である。冷却途中で,反応混合物に9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶を種晶として添加してもよい。かかる結晶は,通常,多形体Aである。

 【0027】析出した結晶は濾過等により回収される。得られた結晶は,上記の反応に用いた溶媒等を用いて洗浄されてもよいし,乾燥されてもよい。かくして得られる9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物は,通常,多形体Aであり,その純度は,通常85%以上である。次に説明する結晶化により,実質的に単一な多形体Bを得る目的において,その純度は85%以上であることが好ましく,90%以上であることがより好ましく,95%以上であることがさらに好ましい。本発明において「実質的に単一な」とは,単一または,多形体Aまたは多形体Bのいずれかが他の結晶形の10重量%以下,好ましくは5重量%以下で含まれる事を意味する。ここで記載した多形体Aまたは多形体B以外の結晶多形体が存在する場合においては,上記で示した割合をそれら他の結晶多形体のいずれにおいても参考とする。

 【0028】本発明における多形体Aは,下記(a)~(c)の少なくとも1つの特徴を有する。

 (a) 示差走査熱分析による融解吸熱最大が100~130℃,好ましくは114~123℃,より好ましくは116~120℃である。

 (b) Cu-Kα線による粉末X線回折パターンにおける回折角2θが7.9°,11.6°,12.7°,14.2°,17.4°,18.7°および21.8°に特徴的なピークを有する。

 (c) 嵩密度が0.2~0.4g/cm3である。

 【0029】 次に,上記9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を芳香族炭化水素溶媒,ケトン溶媒およびエステル溶媒からなる群から選ばれる少なくとも1つの溶媒に溶解させた後に50℃以上で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの析出を開始させて9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの多形体Bを製造する方法について説明する。

 【0030】芳香族炭化水素溶媒としては,例えばトルエン,キシレン,メシチレン等が,ケトン溶媒としては,例えばアセトン,メチルエチルケトン,メチルイソブチルケトン,シクロヘキサノン等が,エステル溶媒としては,例えば酢酸エチル,酢酸ブチル等が,それぞれ挙げられる。好ましくはトルエン,キシレン,アセトン,酢酸エチルであり,より好ましくはトルエン,キシレンであり,さらに好ましくはトルエンである。これらの溶媒は2種以上の混合物として用いる事ができる。溶媒の使用量は,50℃以上で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンが析出する範囲であれば,特に限定されるものではないが,通常9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンに対して0.5重量倍~20重量倍,好ましくは1重量倍~10重量倍,更に好ましくは1.5重量倍~7重量倍である。溶媒量が多いと経済性,生産性が悪くなるばかりでなく実質的な単一の結晶形を得る事ができない場合がある。また溶媒量が少ないと充分な精製効果が得られず不純物が多くなるばかりでなく実質的な単一の結晶形を得る事ができない場合がある。

 【0031】本発明における結晶多形体の製造は,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物を芳香族炭化水素溶媒,ケトン溶媒およびエステル溶媒からなる群から選ばれる少なくとも1つの溶媒に50℃より高い温度で溶解させた後に,得られた混合物を冷却して,50℃以上,溶媒の沸点未満(好ましくは60~100℃,より好ましくは70~90℃)の温度範囲で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶の析出を開始させることにより実施される。溶解時の温度は特に限定されるものではないが,通常,55℃以上,使用する溶媒の沸点以下,好ましくは60~150℃,更に好ましくは70~110℃である。この温度が低いと実質的な単一の結晶形を得る事ができない場合がある。50℃以上で結晶の析出を開始させた後は,混合物をさらに冷却してもよい。冷却終点の温度は特に限定されるものではないが,通常-20~50℃,好ましくは0~40℃,更に好ましくは10~30℃である。この温度が低いと純度が低下する傾向にあり,この温度が高いと溶媒へのロス量が多くなり経済性,生産性が悪くなる。冷却速度は特に限定されるものではないが,通常,毎分0.01~2℃,好ましくは,毎分0.1~0.5℃である。冷却途中で,混合物中に9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶を種晶として添加することが好ましい。結晶種を添加する場合は,多形体Bの結晶種を準安定域幅,例えば,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの飽和溶解点の温度より1~10℃,好ましくは1~3℃低い温度で加えることが好ましい。添加される結晶種の量は,用いた9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物に対して0.01~10重量%,好ましくは0.1~1重量%,更に好ましくは0.3~0.7重量%である。

 【0032】析出した結晶は濾過等により回収される。得られた結晶は,用いた溶媒等を用いて洗浄されてもよいし,乾燥されてもよい。かくして得られる9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶は,通常,多形体Bであり,その純度は,通常95%以上である。

 【0033】本発明における多形体Bは,下記(d)~(f)の少なくとも1つの特徴を有する。

 (d) 示差走査熱分析による融解吸熱最大が150~180℃,好ましくは160~166℃,より好ましくは163~165℃,特に164℃である。

 (e) Cu-Kα線による粉末X線回折パターンにおける回折角2θが12.3°,13.5°,16.1°,17.9°,18.4°,20.4°,21.0°,23.4°および24.1°に特徴的なピークを有する。

 (f) 嵩密度が0.5以上,好ましくは0.6~0.8g/cm3である。

 【実施例1】

 【0035】粗精製物の製造

 撹拌機,窒素吹込管,温度計および冷却管を付けた水分離器を備えたガラス製反応器に,トルエン400gおよびリンタングステン酸3.25gを仕込み,トルエン還流下,共沸脱水した。そこに,フルオレノン129.6g(0.712モル),2-フェノキシエタノール994.9g(7.20モル)およびトルエン118.7gを加え,トルエン還流下,反応により生成する水を系外に除去しながら21時間撹拌した。得られた反応混合物にトルエン1560gを加え,得られた混合物を70℃に調整し,水520gで4回洗浄した。得られた有機層を減圧濃縮することにより,トルエンおよび過剰の2-フェノキシエタノールを除去した。得られた混合物にトルエン1800gを加え,80℃で9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンを溶解させた後,得られた溶液を活性炭で脱色処理した。得られた溶液を徐々に冷却したところ,42℃で結晶が析出し始め,そのまま30℃まで冷却した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物の白色結晶280g(収率88.8%,純度91.8%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は105℃,嵩密度は0.24g/cm3であった。

 【実施例2】

 【0036】多形体Bの製造

 実施例1で得られた9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物80gとトルエン640gの懸濁液を90℃に加熱し,同温度で1時間撹拌して均一な溶液とした。この溶液を80℃まで冷却し,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレン(多形体B)0.4gを結晶種として添加し,同温度で2時間撹拌して結晶を析出させた。この液を毎分0.2℃の冷却速度で20℃まで冷却し,同温度で1時間撹拌することにより,さらに結晶を析出させた。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶73.0g(収率91.3%,純度99.2%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は164.0℃,嵩密度は0.75g/cm3であった。

 【実施例3】

 【0037】粗精製物の製造

 撹拌機,窒素吹込管,温度計および冷却管を付けた水分離器を備えたガラス製反応器に,フルオレノン86.4g(0.48モル),フェノキシエタノール397.9g(2.88モル),トルエン350gおよび…リンタングステン酸…4.3gを加え,トルエン還流下,生成水を反応系外に除去しながら12時間撹拌した。得られた反応液…にトルエン300gを加え,水100gを用いて80℃で水洗をおこなった。得られた有機層を徐々に冷却したところ,12℃で結晶が析出し始め,そのまま10℃まで冷却し12時間撹拌した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物の白色結晶158.0g(収率75.1%,LC純度99.0%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は109℃,嵩密度は0.24g/cm3であった。

 【実施例4】

 【0038】粗精製物の製造

 撹拌機,窒素吹込管,温度計および冷却管を付けた水分離器を備えたガラス製反応器に,フルオレノン86.4g(0.48モル),フェノキシエタノール663.2g(4.80モル),トルエン350gおよび…ケイタングステン酸…4.3gを加え,トルエン還流下,生成水を反応系外に除去しながら8時間撹拌した。得られた反応液…にトルエン300gを加え,水100gを用いて80℃で水洗をおこなった。得られた有機層を減圧濃縮してトルエンおよび過剰のフェノキシエタノールを除去した。得られた混合物にトルエン600gを加え,80℃で約1時間加熱撹拌して均一溶液とした後,徐々に冷却したところ,38℃で結晶が析出し始め,そのまま室温まで冷却した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物の白色結晶162.1g(収率92.0%,LC純度96.2%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は104℃,嵩密度は0.23g/cm3であった。

 【実施例5】

 【0039】多形体Bの製造

 実施例4で得た9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物80gとトルエン640gの懸濁液を90℃に加熱し,同温度で1時間撹拌して均一な溶液とした。この溶液を徐々に冷却したところ,65℃で結晶が析出し始め,そのまま30℃まで冷却し,同温度で1時間保温撹拌した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶70.4g(収率88.0%,純度98.2%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は163.5℃,嵩密度は0.70g/cm3であった。

 【実施例6】

 【0040】多形体Bの製造

 実施例3で得た9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物60gとキシレン300gの懸濁液を100℃に加熱し,同温度で1時間撹拌して均一な溶液とした。この液を徐々に冷却したところ,70℃で結晶が析出し始め,そのまま10℃まで冷却し,同温で1時間保温撹拌した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶53.9g(収率89.9%,純度99.5%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は163.3℃,嵩密度は0.75g/cm3であった。

 【0041】(比較例1)

 多形体Aの製造

 実施例4に準じた方法により得られた9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの粗精製物120gとメタノール600gの懸濁液を60℃で1時間撹拌した。この間液は懸濁状態のままであった。この懸濁液を10℃まで冷却し,ろ過した後,得られた結晶を減圧乾燥することにより9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶107.0g(収率89.2%,純度98.7%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は118.8℃,嵩密度は0.26g/cm3であった。

 【実施例7】

 【0042】多形体Bの製造

 比較例1で調製された9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレン(多形体A)80gとトルエン400gの懸濁液を95℃に加熱して均一な溶液とし,この溶液を80℃まで冷却し,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレン(多形体B)0.4gを結晶種として添加し,同温度で1時間撹拌して結晶を析出させた。この液を10℃まで徐冷し,同温度で1時間保温撹拌することにより,さらに結晶を析出させた。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶73.0g(収率91.2%,純度99.7%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は164.0℃,嵩密度は0.78g/cm3であった。…

 【実施例8】

 【0043】多形体Bの製造

 実施例5で調製された9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶(多形体B)50gとトルエン250gの懸濁液を90℃に加熱し,同温度で1時間撹拌して均一な溶液とした。この溶液を徐々に冷却したところ,72℃で結晶が析出し始め,そのまま10℃まで冷却し,同温度で1時間保温撹拌した。析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥させることにより,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの白色結晶45.5g(収率90.8%,純度98.9%)を得た。得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大(示差走査熱分析による融解吸熱最大)は163.7℃,嵩密度は0.77g/cm3であった。…

 【0044】(試験例1)結晶多形体の示差走査熱量測定(DSC)

 9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレンの結晶多形体10mgおよび別に酸化アルミニウム10mgをそれぞれアルミパンに精密に秤取し,示差走査熱量計…を用い,酸化アルミニウムを対象として下記条件で測定した。比較例1で得られた多形体Aおよび実施例2で得られた多形体Bに対する結果を,それぞれ図1よび図2に示す。

 操作条件

 試薬  :酸化アルミニウム

 昇温速度:10℃/min

 測定範囲:40-260℃

 雰囲気 :開放,窒素40ml/min

 【0045】(試験例2)結晶多形体の粉末X線回折

 150mgをガラス試験板の試料充填部に充填し,粉末X線回折装置…を用いて下記の条件で測定した。比較例1で得られた多形体Aおよび実施例2で得られた多形体Bに対する結果を,それぞれ図3および図4ならびに表1および表2に示す。

 X線源 :CuKα

 出力  :1.8kW(45kV-40mA)

 測定範囲:2θ=5°~60°

 スキャン速度:2θ=1.2°/min

 スリット:DS=1°,マスク=15mm,RS=可変(0.1mm~)

 【0047】【表1】

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 【0048】【表2】

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 【図面の簡単な説明】

 【0046】【図1】図1は比較例1で得られた結晶(多形体A)の示差走査熱量測定(DSC)曲線を示す図である。

 【図2】図2は実施例2で得られた結晶(多形体B)の示差走査熱量測定(DSC)曲線を示す図である。

 【図3】図3は比較例1で得られた結晶(多形体A)の粉末X線回折パターンを示す図である。

 【図4】図4は実施例2で得られた結晶(多形体B)の粉末X線回折パターンを示す図である。

 【図1】

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 【図2】

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 【図3】

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 【図4】

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  (3) 本件発明の課題

 本件明細書に記載された発明は,9,9-ビス(4-(2-ヒドロキシエトキシ)フェニル)フルオレン,すなわち,BPEFの新規結晶多形体,及びその製造方法に関するものである(【0001】)。

 本件明細書によれば,本件優先日当時,BPEFの製造方法は既に知られており,BPEFが,耐熱性,透明性に優れ,高屈折率を備えたポリマーを製造するための原料として有望であり,光学レンズ,フィルム,プラスチック光ファイバー,光ディスク基盤,耐熱性樹脂やエンジニヤリングプラスチックなどの素材原料として期待されていた。そして,上記用途において熱的,光学的に優れたポリマーをより安定して製造するためには,BPEFにおいて,一定の品質を維持できる特定の結晶形を作り分けることが必要であるところ,異なる結晶多形体の存在や,それぞれの結晶多形体の製造方法の情報はなかった(【0002】~【0004】)。そこで,本件発明は,一定の品質を維持し,ポリマー原料として優れたBPEFの新規な結晶多形体を提供し,その結晶多形体の製造方法を提供することを目的として(【0008】),BPEFに,従来から知られている融解吸熱最大が示差走査熱分析で100~130℃である結晶多形体(多形体A)のほかに,融解吸熱最大が示差走査熱分析で150℃~180℃である新規な結晶多形体(多形体B)が存在することを見い出し,また,多形体Bを選択的に得る製造方法を見い出したものである(【0009】)。

 そうすると,本件発明の課題は,多形体Bを提供すること,及び多形体Bを選択的に得る製造方法を提供することであるといえる。

  (4) 結晶多形体に関する本件出願時の技術常識について(パリ条約による優先権の主張を伴う特許出願についての,特許法36条の適用に当たっては,その特許出願の出願日を基準として判断される。)

   ア 甲5,甲124及び乙1の2(いずれも,「結晶多形の最新技術と応用展開-多形現象の基礎からデータベース情報まで-」平成17年8月31日)には,次の記載がある。

 「化合物の分子構造から結晶構造を含めた結晶多形を予測する試みはいくつかなされているものの…予測が困難であることから,存在し得る結晶多形を見出すためには,できるだけ多くの条件で網羅的に結晶化を試みるというスクリーニング法に頼らざるを得ないというのが現状である。」(甲124の106頁1~6行)

 「報告された結晶多形スクリーニング法に採用されている結晶化方法は,溶液状態…からの結晶化法がほとんどであり,冷却法,蒸発法,貧溶媒法(沈殿法),スラリーコンバージョン法等が行われている。…それぞれの結晶化方法は,過飽和を生成するメカニズムが異なる。また,結晶核生成及び結晶成長に影響を与える因子である結晶化条件も方法ごとに異なる。結晶多形スクリーニングでは,これらを組み合わせて多数の条件で結晶化を行うことにより,結晶多形をスクリーニングする。表1に結晶多形スクリーニング法で採用されている主な結晶化方法と結晶化条件をまとめた。

 冷却法は,冷却により,…過飽和を生成する。」(乙1の2の107頁2~16行)

 「結晶多形スクリーニングで用いられる主な結晶化方法と結晶化条件」として,「冷却法」では,「結晶化溶媒の種類,溶質濃度,最高温度(溶解温度),冷却速度,結晶化温度,結晶化期間(保存期間)」が記載されている。(乙1の2の107頁表1)

 「3 結晶多形の溶媒媒介転移に及ぼす溶媒組成,晶析温度,不純物,撹拌速度の影響

 多形の析出は,溶媒とその組成,晶析温度,過飽和度,不純物の存在と濃度,撹拌速度,pHなど,晶析パラメータ全般に支配されている。中でも,溶媒の種類と混合溶媒組成は,多形に大きく影響し,慎重な選択が必要である。溶媒の種類や混合組成を変えると新しく多形が「発見される」ということは珍しくない。」(甲5の154頁12~17行)

   イ 甲14及び甲158(いずれも,「分かり易い晶析操作」平成15年12月1日)には,次の記載がある。

 「晶析により得られる結晶粒子は,あるときは医薬品の原料であり,機能性化学薬品あるいは通常の化学製品,食品でもある。晶析の目的が分離・精製であれ,結晶粒子の製造であれ,常に注意しなくてはならないのは,ろ過特性,粉体流動性,嵩密度などの粉体特定,結晶純度などである。これらの特性を適切に維持するためには,結晶の粒度分布の制御および結晶形状の制御が必要不可欠である。また,医薬品原料の場合は結晶の内部構造に関わる多形の制御なども必要となる。」(甲14の1頁11~17行)

 「晶析の目的はまず第一に,物質の分離・精製である。…晶析では原理的に一段の操作で純度100%の製品が得られる。…ところで,結晶そのものの純度が100%となったとしても,製品結晶には付着母液あるいは結晶内に取り込まれた液胞…のため必ずしも純度100%とはならない。…液胞による純度低下は,無機結晶の場合にも見られるが,有機物の場合は特に著しい。従って,有機物の精製晶析では,晶析の後に発汗,再結晶などの精製工程が不可欠である。」(甲14の1頁22行~2頁10行)

 「晶析のもう一つの目的は,結晶性粒子の製造である。この場合,得られる結晶そのものが製品である。製品特性として,結晶純度はもちろん,結晶粒度分布,結晶形状が重要となる。粉体粒子製造法としてはブレークダウン…法としての粉砕法が,その場合は粉砕の対象となる固体原料の存在が前提となるのに対して,晶析法はそのような前提は不要で,分子原子レベルから固体粒子を製造する方法である。ビルドアップ…法といわれる.化学製品から医薬品まで広い範囲にわたり,晶析により結晶性粉体粒子が製造されている。製造法を工夫することにより,製品にさまざまな機能・特性を付与することも可能である。そのため,医薬品,ファインケミカルズの製法として,重要な位置を占めている。」(甲14の2頁12行~2頁21行)

 「多形は,医薬品の活性などのような機能に関わる。また,多形は結晶内部の構造の問題ではあるが,結晶の形状にも影響を与える。そのため,多形により結晶粒子群の粉体特性がかわることがある。機能及び粉体特性の点から,多形の制御は工業的に重要である。しかし,制御は難しい。溶媒を変えたり,冷却速度を変化させるなどして目的の多形を析出させているが,多分に経験的といわざるを得ない。」(甲158の8頁4~9行)

 「結晶多形の制御も簡単ではない。結晶析出以前の過飽和溶液における溶液の構造,すなわち,溶液中で結晶構成成分の分子がどのような並び方をしているかが多形析出のカギを握っていると思われるが,溶液の構造を制御する手段を持たないため,多形析出の制御は依然として難しいといわざるを得ない。実際には,経験的な手法で多形を作り分けている。たとえば,溶液を急冷したり,または,結晶析出温度を高くあるいは低く設定したりして実験的に望みの多形の析出条件を見つけだしている。」(甲14の45頁16~22行)

   ウ 上記ア及びイの記載からすれば,結晶性粒子の製造を目的とした晶析が,化学製品から医薬品まで広い範囲にわたり行われており,製品に様々な機能・特性を付与することが可能であるため,医薬品,ファインケミカルズの製法として重要な位置を占めているものの,化合物の分子構造から結晶構造を含めた結晶多形体を予測することは困難であり,また,結晶多形体析出の制御は依然として難しいため,できるだけ多くの条件で網羅的に結晶化を試みるというスクリーニング法により,実験的に目的とする結晶多形体の析出条件を見い出すことが本件出願時の技術常識であったと認められる。また,結晶多形体の析出は,結晶化溶媒の種類と組成,溶質濃度,過飽和度,溶解温度,冷却速度,結晶化温度(晶析温度),結晶化期間,不純物の存在と濃度,撹拌速度,pHなど,晶析パラメータ全般に支配され,中でも,溶媒の種類と混合溶媒組成は,多形に大きく影響し,溶媒の種類や混合組成を変えると新しく結晶多形体が「発見される」ということも珍しくなかったといえることが,本件出願時の,当該技術分野における当業者の技術常識であったと認められる。

  (5) 本件発明の課題を解決できると認識できる範囲について

   ア 上記(2)に引用した本件明細書の【0009】,【0011】,【0028】,【0033】,【0044】,【0045】,【表1】,【表2】及び【図1】~【図4】によれば,本件明細書には,BPEFにおいて,従来から公知であった多形体Aとは異なる新規の多形体であって,示差走査熱分析による融解吸熱最大が150~180℃であり,Cu-Kα線による粉末X線回折パターンにおける回折角2θが12.3°,13.5°,16.1°,17.9°,18.4°,20.4°,21.0°,23.4°及び24.1°に特徴的なピークを有し,嵩密度が多形体Aよりも高い0.5g/cm3以上であり,容積効率等の点で工業的な取扱いに有利な特徴を有する多形体Bが記載されているといえる。

   イ 多形体Bの製造方法として,上記(2)に引用した本件明細書には,実験No.1(【実施例1】【0035】及び【実施例2】【0036】に記載された製造方法),実験No.2(【実施例4】【0038】及び【実施例5】【0039】に記載された製造方法),実験No.3(【実施例3】【0037】及び【実施例6】【0040】に記載された製造方法)並びに【0041】(比較例1)及び【実施例7】【0042】に記載された製造方法(実験No.4)が記載されている。

 そして,実験No.1の製造方法は,「BPEF(多形体B)0.4gを結晶種として添加」する工程を有する【0036】から,多形体Bを製造するために,該多形体Bそのものを要する,つまり,多形体Bが既に製造されていることを要するものである。そうすると,実験No.1の製造方法は,多形体Bを製造する他の方法の存在を前提とすることになるから,実験No.1の記載のみから,本件明細書に,多形体Bを製造することが記載されているとはいえないことになる。実験No.4についても,「BPEF(多形体B)0.4gを結晶種として添加」する工程を有する【0042】から,同様である。一方,実験No.2及び実験No.3の製造方法は,多形体Bを製造するに当たって該多形体Bを要するものではないから,実験No.2及び実験No.3に係る本件明細書には,多形体Bを製造することが記載されているといえる。

   ウ 以上のとおり,実験No.2及び実験No.3の製造方法が記載された,本件明細書の実施例4(【0038】)及び実施例5(【0039】),並びに実施例3(【0037】)及び実施例6(【0040】)の記載に基づいて,当業者は,多形体Bを選択的に得る製造方法として,本件発明の課題を解決できるものと認識することができ,また,この製造方法により多形体Bを製造すれば,多形体Bを提供するという本件発明の課題も解決できると認識することができる。

   エ 一方,本件明細書の【0031】【0030】の記載によれば,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒として,トルエン,キシレンなどの「芳香族炭化水素溶媒」以外に,アセトンなどの「ケトン溶媒」,及び酢酸エチルなどの「エステル溶媒」が記載され,また析出開始温度として65℃や70℃ではなく,「50℃以上」が記載されている。

 しかし,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒は,実施例5では「トルエン」であり,実施例6では「キシレン」である。また,多形体Bの析出開始温度は,実施例5では「65℃」であり,実施例6では「70℃」である。そして,本件明細書には,アセトンなどの「ケトン溶媒」や酢酸エチルなどの「エステル溶媒」を溶媒として用いて多形体Bを析出させたことや,65℃未満で多形体Bを析出させたことは記載されていない。

 他方,上記(4)ウに記載のとおり,化合物の分子構造から結晶構造を含めた結晶多形体を予測することは困難であり,所望の結晶多形体の析出条件は,できるだけ多くの条件で網羅的に結晶化を試みることにより見い出すものである。しかも,結晶多形体の析出は,溶媒の種類や結晶開始温度(晶析温度)の影響を受け,とりわけ,溶媒の種類の影響は大きく,溶媒の種類を変えることにより「新たな結晶多形体」が見い出される場合もあることが,本件出願時の技術常識であったことを考慮すると,特定の溶媒や特定の析出開始温度で多形体Bを選択的に製造できたとしても,当該溶媒とは化学構造や性質が異なる溶媒を用いた場合や,当該析出開始温度とは異なる温度で析出を開始した場合に,多形体Bを選択的に製造できるか否かを,実験等により実際に確認することなく予測することは困難であったといえる。

 したがって,当業者は,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒として,トルエン,キシレンなどの「芳香族炭化水素溶媒」に代えて,それとは化学構造も性質も異なる,アセトンなどの「ケトン溶媒」又は酢酸エチルなどの「エステル溶媒」を用いても,多形体Bを選択的に製造できるとは認識できないし,また,析出開始温度を65℃ではなく,50℃以上65℃未満としても,多形体Bを選択的に製造できるとは認識できないというべきである。

   オ よって,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識からみて,多形体Bを選択的に得る製造方法について,本件発明の課題を解決できると当業者が認識できるのは,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒として,トルエン,キシレンなどの「芳香族炭化水素溶媒」を用い,析出開始温度として65℃以上とした場合である。

  (6) 本件発明のサポート要件の適合性について

   ア 本件発明1~本件発明6及び本件発明10には,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際の析出開始温度として,「50℃以上65℃未満」が包含され,また,それに加えて,本件発明1~本件発明4及び本件発明10には,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒として,「ケトン溶媒」及び「エステル溶媒」が包含されている。

 しかし,上記(5)オのとおり,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に照らして,当業者が本件発明の課題を解決できると認識できるのは,BPEFの粗精製物からBPEFの多形体Bを選択的に析出させる際に用いる溶媒として,トルエン,キシレンなどの「芳香族炭化水素溶媒」を用い,析出開始温度として65℃以上とした場合である。

 したがって,本件発明1~本件発明6及び本件発明10は,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に照らして,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲を超えており,サポート要件に適合しない。

   イ 本件発明7及び本件発明8は,それぞれ,「示差走査熱分析による融解吸熱最大が160~166℃である」及び「Cu-Kα線による粉末X線回折パターンにおける回折角2θが12.3°,13.5°,16.1°,17.9°,18.4°,20.4°,21.0°,23.4°および24.1°にピークを有する」BPEFの結晶多形体であり,また,本件発明9は,本件発明8を,「回折角2θの最大ピークが18.4°である」BPEFの結晶多形体と,更に限定をしたものであるが,本件明細書の【0044】,【0045】,【表2】及び【図2】の記載からみて,本件発明7~本件発明9に係るBPEFの結晶多形体は,多形体Bであると認められる。

 そして,上記(5)ウのとおり,本件明細書には特定の溶媒を用いて特定の析出開始温度より多形体Bを選択的に得る製造方法が記載されているから,多形体Bを提供するという本件発明の課題は解決できると当業者は認識することができるといえる。

 したがって,本件発明7~本件発明9は,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に照らして,当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであり,サポート要件に適合するものである。

  (7) 本件発明1~本件発明6及び本件発明10についての被告主張について

   ア 被告は,審決が実施例2を本件発明1の実施例と認定したことに誤りはなく,比較例1で多形体Bが生成されなかった理由は,本件発明1で特定した「溶媒」を用いておらず,「懸濁」したことに起因すると当業者は理解し,本件明細書には,実施例2,5及び6として,多形体Bの生成の溶媒,析出開始温度,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大,嵩密度,収率や純度が記載され,一般的な説明として,触媒,粗精製物の純度,溶媒の種類及び使用量,再結晶化のための溶解温度や析出開始温度の条件について詳細に記載されていると主張する。

 しかし,実施例2及び比較例1においても,50℃以上65℃未満で多形体Bの析出が開始されたのではないし,ケトン溶媒又はエステル溶媒を用いて多形体Bを析出させたのでもない。この被告の主張によって,上記(6)の判断を変更すべきとはいえない。

   イ 被告は,本件出願時,多形体Aは周知の結晶形であり,甲6のほか,種々の製法が知られており,甲13では,得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大が150℃未満(甲13の【0062】)であることから,本件発明の多形体Bは生成されていないが,BPEFの結晶析出開始温度につき,「適当な温度(例えば,-10℃~30℃,特に0~30℃程度)に冷却することにより結晶を析出させる…」(甲13の【0058】)とされているから,再結晶化工程における析出開始温度が「50℃未満」の場合には多形体Bは生成されず,また,甲13についての被告の追試実験(乙34)では40.5℃で析出を開始し,多形体Aが得られていると主張する。

 しかし,上記の実験等においても,多形体Bの析出については,これが50℃以上65℃未満において開始されたことを示すものではないから,この被告の主張によって,上記(6)の判断を変更すべきとはいえない。

  (8) 本件発明7~本件発明9についての原告主張について

   ア 原告は,本件発明7~本件発明9に係るBPEFが,本件発明1に係る製造方法によって製造されるBPEFをその物性値によって特定したものであり,本件発明1に係る製造方法がサポート要件を充足しない以上,本件発明7~本件発明9で規定される物性値を持つ多形体Bをどのようにして安定的,選択的に得ることができるのかを当業者が認識することはできないと主張する。

 

 しかし,上記(5)ウに記載のとおり,本件明細書の実施例4及び実施例5並びに実施例3及び実施例6の記載は,多形体Bを選択的に得る製造方法として,本件発明の課題を解決できるものと当業者は認識することができ,また,この製造方法により多形体Bを製造すれば,多形体Bを提供するという本件発明の課題も解決できると当業者は認識することができるから,本件発明1がサポート要件に適合しないものであるからといって,直ちに,本件発明7~本件発明9がサポート要件に適合しないものであるとはいえない。

   イ また,原告は,本件明細書の粗精製物合成工程である実施例3及び4は甲6の実施例9及び10と,本件明細書の再結晶工程である実施例5及び6は甲2の実施例1及び2と,それぞれ同一である(甲154)から,本件明細書における実施例3~8及び比較例1は,本件発明1が完成する前に実施された,技術思想や目的の異なる実験であり,甲2及び甲6に記載された実施例の内容に照らすと,特に実施例3の析出開始温度が「10℃」であるとの記載の信用性は著しく疑われ,特許権者である被告において実験ノート等の証拠により実験データの真正が立証されない以上,実施例3~8を基にサポート要件を充足するとの判断がなされるべきでないと主張する。

 しかし,既に行われた技術思想や目的の異なる実験であっても,本件発明を実施したものであれば,本件明細書に実施例等として再度記載されることを問題視する理由はない。また,原告が指摘する実施例3の析出開始温度についても,信用性が疑われるほどの事情は認められない。

 したがって,原告の主張は失当である。

   ウ さらに,原告は,本件出願時,結晶多形体の主な制御因子として,析出開始温度や純度のほかにも,溶質温度,溶解温度,冷却温度,結晶化期間,過飽和度,不純物の存在と濃度,撹拌速度,pH及び種晶が知られており,これらの因子が多形体Bの製造に関与している可能性が十分にあり,本件発明1の製造方法によって多形体Bが製造できると当業者が認識することができるだけの情報を開示した技術常識がないと主張する。

 しかし,BPEFの多形体Aを製造する方法が記載された実施例4には,BPEF合成のための原料(フルオレノン86.4g,フェノキシエタノール663.2g),溶媒(トルエン350g),触媒(ケイタングステン酸4.3g),反応操作(トルエン還流下,生成水を反応系外に除去しながら8時間撹拌),洗浄及び精製(得られた反応液にトルエン300gを加え,水100gを用いて80℃で水洗を行い,得られた有機層を減圧濃縮してトルエン及び過剰のフェノキシエタノールを除去),多形体Aの晶析操作(得られた混合物にトルエン600gを加え,80℃で約1時間加熱撹拌して均一溶液とした後,徐々に冷却したところ,38℃で結晶が析出し始め,そのまま室温まで冷却),結晶単離操作(析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を乾燥)が記載されており,それにより,BPEFの粗精製物の白色結晶162.1g(LC純度96.2%)を得たこと,及び得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大が104℃,つまり,多形体Aであったことが記載されている。また,実施例4で製造した純度96.2%の多形体Aから多形体Bを選択的に得る製造方法が記載された実施例5には,原料(実施例4で得たBPEFの粗精製物80g),溶媒(トルエン640g),溶質温度,溶解温度及び撹拌時間(懸濁液を90℃に加熱し,同温度で1時間撹拌して均一な溶液とする。),冷却条件(徐々に冷却,30℃まで冷却,同温度で1時間保温撹拌),析出開始温度(65℃),並びに,結晶単離操作(析出した結晶を濾過により取り出し,該結晶を減圧乾燥)が記載されており,それにより,BPEFの白色結晶70.4g(純度98.2%)を得たこと,及び得られた結晶の示差走査熱分析による融解吸熱最大が163.5℃,つまり,多形体Bであったことが記載されている。これらの実施例4及び5の記載では,原料,溶媒,触媒等の具体的な種類と使用量が明らかにされており,また,反応時や晶析時の条件も具体的に記載されており,さらに,得られた多形体A及び多形体Bの純度や示差走査熱分析による融解吸熱最大も記載されている。

 これらの記載からみて,結晶多形体の主な制御因子と原告が主張するもののうち,多形体Bの析出開始温度(65℃),原料たる多形体Aの純度(96.2%),溶質温度及び溶解温度(90℃),冷却温度(30℃)及び種晶(不使用)については明らかであるといえる。また,不純物の存在と濃度は,原料である多形体Aの純度の記載から,過飽和度は,実施例5の原料の量(実施例4で得たBPEFの粗精製物80g),溶媒の量(トルエン640g),溶解温度(90℃),冷却速度(徐々に冷却)及び析出開始温度(65℃)の記載から,当業者であればおおよその認識が可能というべきである。さらに,pHについては,実施例4及び5の記載からみて,特段の操作をしていないというべきである。

 以上からすれば,実施例4及び5の記載から,原告が主張する結晶多形体の主な制御因子のうち,結晶化期間及び撹拌速度以外の点は明らかである。そして,上記(4)ウに記載のとおり,溶媒媒介転移による結晶多形体の析出において,結晶化期間及び撹拌速度が影響を与えるものであるということは,本件出願時の当業者の技術常識であったと認められるものの,本件明細書に,結晶化期間や撹拌速度として,特段の条件の設定を要すると認識するような記載はないから,これらの因子については,通常の晶析操作の範囲内のものであると当業者が認識するといえる。

 また,本件明細書の実施例3及び実施例6の記載からも,上記と同様のことがいえる。

 したがって,原告の上記主張を参酌しても,本件明細書の実施例4及び実施例5並びに実施例3及び実施例6の記載は,多形体Bを選択的に得ることを開示したものと,当業者が認識することができる。

  (9) 小括

 以上のとおり,本件発明1~本件発明6及び本件発明10は,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に照らして,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲を超えており,サポート要件に適合しないというべきであるから,審決の判断には誤りがあり,その余の取消事由について判断するまでもなく,審決の判断は取り消されるべきである。

 また,本件発明7~本件発明9は,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識に照らして,当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであり,サポート要件に適合するものであるから,審決の判断は結論において誤りはない。

 2 取消事由2(実施可能要件に関する判断の誤り)について

  (1) 物の発明における発明の「実施」とは,その物の生産,使用等をする行為をいう(特許法2条3項1号)から,特許法36条4項1号の「その実施をすることができる」(実施可能要件)とは,その物を生産することができ,かつ,その物を使用できることである。したがって,物の発明については,明細書の記載又はその示唆及び出願当時の技術常識に基づき,当業者がその物を生産することができ,かつ,その物を使用できるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。

  (2) 本件発明7~本件発明9について

 本件発明7~本件発明9はBPEFの結晶多形体Bであるから,物の発明であり,これらが実施可能であるというためには,本件明細書の記載又はその示唆及び本件出願時の技術常識に基づき,当業者が,当該発明に係る多形体Bを生産することができ,かつ,当該多形体Bを使用できなければならない。

 上記1(8)ウに記載のとおり,実施例4及び5の記載は,原料,溶媒,触媒等の具体的な種類と使用量が明らかにされており,また,反応時や晶析時の条件も具体的に記載されており,さらに,得られた多形体A及びBの純度や示差走査熱分析による融解吸熱最大も記載されている。そして,上記1(4)ウに記載した,結晶多形体に関する本件出願時の技術常識からみて,多形体Bの結晶化温度(65℃),溶解温度(90℃),冷却速度(徐々に冷却,30℃まで冷却)については明らかであるといえる。また,不純物の存在と濃度は,原料である多形体Aの純度(96.2%)の記載から,過飽和度は,実施例5の原料の量(実施例4で得たBPEFの粗精製物80g),溶媒の量(トルエン640g),溶解温度(90℃),冷却速度(徐々に冷却)及び析出開始温度(65℃)の記載から,当業者であればおおよその認識が可能なものというべきである。さらに,pHについては,実施例4及び5の記載からみて,特段の操作をしていないといえる。

 実施例4及び5の記載からでは,結晶化期間及び撹拌速度が不明であるといえるが,本件明細書の記載及び技術常識からみて,結晶化期間や撹拌速度として特段の特殊条件の設定を要するとはいえず,当業者が晶析操作において通常設定する範囲内のものであり,当業者の過度の負担を要するとはいえない。

 また,本件明細書の実施例3及び実施例6の記載からも,上記と同様のことがいえる。

 したがって,本件明細書の実施例4及び実施例5並びに実施例3及び実施例6の記載に接した当業者であれば,本件発明7~本件発明9の多形体Bを過度の負担なく製造することができるというべきである。

 そして,そのようなBPEFの多形体Bは,上記1(3)に記載のとおり,耐熱性,透明性に優れ,高屈折率を備えたポリマーを製造するための原料として使用できるといえる。

 よって,本件発明7~本件発明9について,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものである。

  (3) 本件発明7~本件発明9についての原告主張について

   ア 原告は,本件発明7~本件発明9に係るBPEFが,本件発明1に係る製造方法によって製造されるBPEFをその物性値によって特定したものであり,本件発明1に係る製造方法が実施可能要件を充足せず,当業者が発明の詳細な説明の記載により多形体Bを製造できない以上,本件発明7~本件発明9で規定される物性値を持つ多形体Bを製造できる程度に発明の詳細な説明に明確かつ十分な記載があるとはいえず,実施可能要件を充足しないと主張する。

 しかし,上記(2)に記載のとおり,本件明細書の実施例4及び実施例5並びに実施例3及び実施例6の記載に接した当業者であれば,本件発明7~本件発明9の多形体Bを製造することができるといえる。

   イ 原告は,実験No.2及び実験No.3においては,BPEF粗精製物の析出開始温度,純度,及び再結晶時の析出開始温度は実験条件として設定されたのではなく,結果としての測定値にすぎないから,これらの実験によって本件発明1を実施することはできない,と主張する。

 しかし,実験No.2及び実験No.3にて得られたBPEF粗精製物の析出開始温度,純度,及び再結晶時の析出開始温度を実施のための条件として設定すれば,本件発明7~本件発明9に係るBPEFを得ることができる。そして,前記1(4)イのとおり,析出開始温度は当業者が適宜設定できるものであるし,BPEF粗精製物の純度は,測定してから再結晶時に用いればよい。原告の主張には,理由がない。

   ウ 原告は,本件発明1の構成要件であるBPEFの粗精製物の析出開始温度,純度及び再結晶時の析出開始温度が数値範囲で規定されているが,その上限と下限との技術的根拠が明示されていないことを問題とする。

 しかし,物の発明である本件発明7~本件発明9の実施可能性を判断するに当たっては,製造方法の発明である本件発明1に示された数値範囲のすべてで多形体Bが製造できる必要はない。本件明細書の実施例4及び実施例5,又は,実施例3及び実施例6に記載されたBPEFの粗精製物の析出開始温度,純度及び再結晶時の析出開始温度に従えば,本件発明7~本件発明9を製造することは可能と解される。原告の主張は,失当である。

   エ 原告は,結晶多形体を制御する主な因子として,析出開始温度や純度の他にも,溶質温度,溶解温度,冷却速度,結晶化期間,過飽和度,不純物の存在と濃度,撹拌速度,pH,種晶が知られていたから,本件明細書からこれらの因子の影響を評価することはできず,開示内容が不十分であると主張する。

 しかし,上記1(8)ウ及び上記(2)に記載のとおり,実施例4及び実施例5の記載からみて,多形体Bの析出開始温度(65℃)のみならず,原告が主張する結晶多形体の主な制御因子のうち,結晶化期間及び撹拌速度以外は,すべて明らかであるといえる。また,上記(2)に記載のとおり,結晶化期間及び撹拌速度の設定に関して,当業者の過度の負担を要するとはいえない。原告の主張には,理由がない。

   オ 原告は,実施例5では90℃でBPEF粗精製物をトルエンに溶解させた後溶液を温度制御することなく冷却させるだけであり,甲53の追試では多形体Bを生成することができず,また,65℃で結晶の析出が開始されたとする実施例5の実施時における過飽和度,冷却速度や撹拌速度等の諸因子の情報が,本件明細書に記載されていないため,温度制御もしない状況で,65℃で析出を開始させることが不可能であり,しかも,析出開始温度を65℃にしたところで,多形体Bが製造できるか不明であると主張する。

 しかし,本件明細書【0031】の記載に接した当業者は,実施例5においても,65℃で結晶の析出が開始されるよう,必要に応じて何らかの温度制御をすべきことを理解できるといえ,また,上記1(8)ウ及び上記(2)に記載のとおり,実施例4及び実施例5の記載からみて,多形体Bの析出開始温度(65℃)のみならず,結晶多形体の主な制御因子と原告が主張するもののうち,結晶化期間及び撹拌速度以外は,すべて明らかであり,温度制御や,結晶化期間及び撹拌速度の設定に当業者の過度の負担を要するとはいえない。さらに,析出開始温度を65℃にしても,多形体Bが製造できるかどうか不明であるとの原告主張には,これを裏付ける根拠がない。

   カ 原告は,本件明細書の実施例3,4,9及び10は,本件発明1の製造方法に基づく実験ではなく,また,本件明細書の実施例3は甲6の実施例9と同一であるところ,甲6では「室温まで徐々に冷却し」だったのが,本件明細書では「10℃まで冷却し12時間撹拌した」と変更されていることから,実験内容が改ざんされている疑いが強いと主張する。

 しかし,上記の記載の変更を考慮しても,実験を行っていないとか,実験内容が改ざんされたとまでは認めるに足りる証拠がない。原告の主張には,理由がない。

  (4) 小括

 以上のとおりであるから,本件発明7~本件発明9について,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,実施可能要件に適合するものであるから,審決の判断に誤りはない。

 3 取消事由3(進歩性判断の誤り)について

 審決は,本件発明7~本件発明9について,本件発明1を当業者が容易に想到し得たとはいえないから,本件発明7~本件発明9も当業者が容易に想到できるものであるとすることはできないとする。

 しかし,本件発明7及び8は独立形式で記載された物に係る発明であり,本件発明9は本件発明8の従属形式で記載された発明であって,いずれもその物の製造方法に係る本件発明1を引用するものではない。そうすると,進歩性の検討において,引用されていない物の製造方法の発明である本件発明1を当業者が容易に想到し得たとはいえないことのみを理由として,直ちに,本件発明7~本件発明9も当業者が容易に想到し得たとはいえないと判断することは許されない。また,上記のとおり,本件発明1はそもそもサポート要件に適合しないものであるから,その容易想到性に関する判断は適切に行われていない。

 したがって,本件発明1が容易想到ではないことのみを理由とする,本件発明7~本件発明9の容易想到性に関する判断も,適切に行われたものとはいえないから,この点に係る審決の判断を取り消すものとする。

 4 取消事由4(公然実施及び公知)について

 事案に鑑み,本件発明7に係る取消事由4のうちの公然実施についても判断する。

  (1) 認定事実

 後に掲記する証拠及び弁論の全趣旨から,次の事実を認定することができる。

   ア Y社は,コールタールの有効利用をするため,コールタール中の成分であるフルオレンを使用してBPEFの開発を進めていたところ,平成5年10月,BPEFの合成過程を効率化させるBPEF一段合成法を開発するに至った(乙17)。

   イ 平成5年7月頃から平成7年11月頃まで,原告,被告,X社及びY社の間で,BPEFの製造について,共同開発が行われていた(甲161~甲164,甲179,甲184,甲185,乙3,乙4(枝番を含む。),乙5(前同),乙6(前同))。この共同開発は,X社が開発していた光学のポリマーの原料として適当なBPEFを供給することを目的としており,技術面において,Y社はBPEFを工業的に安価に製造する技術開発を担当し,被告は実際のプラントでの生産技術の開発を担当し,X社はポリマーの材料としてY社及び被告が供給するBPEFの品質等を評価することを担当していた(甲142)。

 X社,Y社(原告を含む。)及び被告は,平成5年9月21日,上記共同開発に当たり,各々が開示する技術的情報及びこれに関わる業務上の秘密事項を秘密に保持する旨の本件覚書を締結した。本件覚書の有効期間は5年間であり,いずれかの当事者の反対の書面による意思表示がない限り,1年間更新され,以後も同様であるとされた。(乙6の3)Y社と被告とは,平成5年11月22日,共同開発に関する覚書を締結し,業務分担等を定めた(乙6の1)。この覚書は,平成6年3月31日,有効期限を同年9月30日までとされた。

 Y社は,平成7年3月,天然ガスへの転換を完了したために,石炭からガスを作る工場を閉鎖し,自社のコールタールからフルオレンを生産する事業から撤退することにした。そのため,Y社は上記共同開発からも撤退し,替わりに原告が,被告が生産したものをX社に販売する商社的な役割を担い上記共同開発に加わることになった。(甲142,乙4の11の1)

 原告と被告とは,平成7年4月1日,BPEFの製造・販売に関する覚書を締結した(乙5の3)。

 原告,被告,X社及びY社は,共同開発の期間中,継続して会議を開催していた(3社会議)のであるが,平成7年11月16日の3社会議(本件3社会議)においては,被告より,「コストダウン検討実験結果」の一環として,「●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。」と報告された(乙4の13の1)。

 原告及び被告は,平成8年12月1日,平成7年4月1日付覚書を合意解約し,平成5年11月22日付で締結した共同開発に関する覚書により得られた被告が有する共同開発技術(特願平8-218003号,特願平8-218004号,特願平8-218002号)を用いて製造した製品を,原告が買い受け,X社に対して販売することを合意した(乙5の4)。

   ウ Y社は,平成8年4月から,BPEFの開発を再開した(甲142)。また,平成8年6月頃には,BPEFの精製過程において,溶媒としてトルエン及び水を利用するトルエン加水分解法を開発した(甲18,甲19,乙17)。トルエン加水分解法は,BPEFの粗結晶を水とトルエンに溶かした後,不純物が溶けた水を取り除くと,BPEFのみが溶けたトルエンが得られ,これを精製して純度の高いBPEFを得るという方法であり,本件発明1とは異なるBPEFの製造方法である(甲19,乙17,甲21の1及び2)。

 Y社は,平成8年11月から翌年にかけて,トルエン加水分解法を利用したBPEFの量産を計画し,A社に委託して,合計約14トンのBPEFを試作した(甲20,乙17)。

 原告は,平成11年4月頃,Y社から,トルエン加水分解法を含む,BPEFの製造方法について開示を受けた。

   エ Y社と原告は,トルエン加水分解法を利用したBPEFの製造については,複数の会社に製造を委託することが望ましいと考え,次のとおり,B社に対しても,BPEFの製造を委託した(乙17)。

 (ア) Y社は,平成11年3月頃,B社に委託して合計1662.76kgのBPEFを製造した(甲22の1)。測定の結果,このうち少なくとも1177.44kg分(SPグレード(Lot.010-2)及びGグレード(Lot.009))のBPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.5~163.6℃であり,本件発明7の実施に該当するものであった(甲21の1及び2,甲22の1~3)。

 被告は,同年11月,本件発明7の実施品に該当する上記BPEFのうち50kgをY社から購入した上,X社にサンプルとして譲渡した(乙17)。

 (イ) Y社は,平成14年3月頃,B社に委託して合計3951kgのBPEFを製造した(甲30の4)。

 その際(平成14年3月5日)に行われた測定の結果(甲30の3)によると,これらのBPEFのうち,ロット番号2018,2019,2020,2021のものは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.8~163.2℃であり,本件発明7の実施品に該当するものであった。

 原告は,平成14年3月頃,上記BPEFのうち各ロット番号を合計2700kgY社から購入した上,α社に譲渡した(甲30の5,第1取引)。

 原告は,平成15年1月21日,γ社に対し,ロット番号02023のBPEF60kgを譲渡した(甲31の3及び5,第7取引)。平成14年4月16日に行われた測定の結果(甲31の4)によると,このBPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.7℃であった。

 原告は,平成15年6月5日,γ社に対し,ロット番号02018のものを含むBPEF60kgを譲渡した(甲32の1~4,第8取引)。

   オ 原告は,次のとおり,A社にBPEFの製造を委託することとした。

 (ア) 原告は,平成14年3月6日から同年4月13日までの間,A社に委託して合計8330kgのBPEFを製造した(甲33。ロット番号420501~420514)。

 その際に行われた測定の結果(甲33)によると,これらのBPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.3~163.8℃(うちロット番号4210510のものは163.5℃,ロット番号420513のものは163℃)であり,本件発明7の実施品に該当するものであった。

 原告は,平成14年5月頃,ε社に対し,上記BPEFのうち1kg(ロット番号420510)を譲渡した(甲39の1及び2。第11取引)。このとき譲渡したBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を平成23年6月28日に測定したところ,163.7℃であった(甲42)。

 原告は,平成14年7月頃,δ社に対し,上記BPEFのうち100kg(ロット番号420506)を譲渡した(甲37の1~5。第10取引)。

 原告は,同年8月頃,α社に対し,上記BPEFのうち450kg(ロット番号420506)を譲渡した(甲34の2及び3,第2取引)。

 原告は,平成14年10月16日,ε社に対し,上記BPEFのうち200g(ロット番号420513及び520706)を譲渡した(甲40の1及び2。第12取引)。このとき譲渡したBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を平成23年6月28日に測定したところ,ロット番号420513は163.6℃,ロット番号520706は164.1℃であった。

 (イ) 原告は,平成14年10月頃,A社に委託して合計8413kgのBPEFを製造した(乙17,甲35の4。ロット番号520701~520713)。

 その際に行われた測定の結果(甲35の3及び8)によると,上記BPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が161.9~162.8℃(うちロット番号520706のものは162.8℃)であり,本件発明7の実施品に該当するものであった(甲35の1~4)。

 原告は,平成15年5月頃,α社に対し,上記BPEFのうち合計4140kg(ロット番号520703~520706,520709~520713)を譲渡した(甲35の5~7。第3取引)。

 原告は,平成15年12月頃,γ社に対し,上記BPEFのうち60kg(ロット番号520709)を譲渡した(甲36の1~5。第9取引)。

 (ウ) 原告は,平成15年2月頃,A社に委託して合計8019kgのBPEF(ロット番号630201~630213)を製造した(甲43,甲44)。

 その際行われた測定の結果(甲45,甲46)によると,上記BPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.1~164.6℃であり,本件発明7の実施品に該当するものであった。

 原告は,同年8月19日,α社に対し,上記BPEFのうち合計1510kg(ロット番号630202,630205,630206,630208,630209,630212,630213)を含む合計9910kgのBPEFを譲渡した(甲47の1及び2。第4取引)。

 原告は,平成15年3月頃,ε社に対し,ロット番号630212のBPEF1kgを譲渡した(甲41。第13取引)。この譲渡したBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を平成23年6月28日に測定したところ,163.1℃であった。

   カ 原告は,平成16年頃,JFEケミカル株式会社との合弁で株式会社フルファイン(「フルファイン」)を設立し,同社によりBPEFの量産をすることとした(乙17)。

 原告は,フルファインに委託してBPEFを製造し(甲48),このうち合計6750kgのBPEFを,平成17年5月17日頃,α社に対し,譲渡した(甲49の4。第5取引)。

 これに先立って行われた,α社に送付したサンプルの測定の結果(甲49の3)によると,上記BPEFのうち,少なくともロット番号0410010のBPEFは,示差走査熱分析による融解吸熱最大が162.9℃であり,本件発明7の実施品に該当するものであった。

 原告は,平成19年2月1日,β社に対し,5100kgのBPEF(フルファインが製造したものである,ロット番号0610208,0612242~0612245,071246を含む。)を譲渡した(甲51の1~3。第6取引)。原告は,このとき取引されたBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を平成22年5月12日及び平成23年1月に測定したと主張し,甲22の3及び甲50はこれに沿う。しかし,この測定は,製造に近接した時点でなされたものではなく,本件に関する紛争が起きてから実施されたものであるから,第6取引の対象物が本件発明7の実施品に該当するものと認めるに足りない。

   キ 原告とα社及びβ社との間には,取引基本契約書が締結され,守秘義務条項も設けられていていたが,取引対象物の物性について秘密を保持しなければならないと特定されていたわけではなかった(甲143)。

   ク δ社は,被告に対し,原告から販売されたBPEFの一部を譲渡したものであるが,原告からの購入の際,原告に対してBPEF譲渡の可否を尋ねることはなかった(甲142)。

   ケ なお,α社は,平成8年10月1日設立のX社の100%子会社であるが,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●,その光学用ポリエステル事業の営業譲渡(現行の事業譲渡)を受けたのがβ社である。

  (2) 第1取引~第13取引の対象物

   ア 上記認定より,第1取引~第5取引,第7取引~第13取引の対象物は,本件発明7の実施品に該当するBPEFである。

   イ 被告の主張

 (ア) 被告は,これに対し,一段合成法とトルエン加水分解法を用いたとしても,多形体Bが生成されるとは限らないと主張し,その根拠として,特開2005-104898号において,一段合成法とトルエン加水分解法を用いて150℃に溶解する生成物が得られていることをあげる。

 しかし,一段合成法とトルエン加水分解法を用いて一定の条件の下で多形体Bとは異なる物質が得られることがあるとしても,そのことにより異なる条件の下で多形体Bが得られることが否定されるものではなく,他にこれを否定すべき技術的根拠もない。被告の主張は,失当である。

 (イ) 被告は,原告が,平成19年12月20日以前は,自身のホームページでBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大を124~126℃と表示していたのだから,多形体Bの製法は完成していなかったと主張する。

 しかし,一般的に,ホームページの表示が過去の事実を更新せずに放置することもあり,上記認定に係る証拠を勘案すれば,ホームページにおける一時点での表示のみで上記認定を覆すことはできない。被告の主張には,理由がない。

   ウ 審決の認定について

 (ア) まず,審決は,第4取引~第6取引と,第10取引~第13取引の存在を否定した。その理由は,当該取引関係書類(甲37の2及び4,甲39の1及び2,甲40の1及び2,甲41,甲47の1及び2,甲49の1,2及び4,甲51の2及び4,)の原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正な成立が確認できないとして,認定の資料として採用しなかったところにある。

 しかし,上記書証はいずれも,①作成者であるとされている者と異なる者が作成していると考え得る具体的な根拠があるものではないから,文書の真正な成立を否定すべき理由はなく,また,②具体的に改ざんの可能性等が指摘できるような不審な点があるわけでもないから,原本の存在及び写しとの同一性が確認できないとしても,それにより各書証の証明力を一切否定すべき合理的理由はない。

 審決は,証拠の採否を誤ったものである。

 (イ) また,審決は,第1取引及び第8取引の対象物の示差走査熱分析による融解吸熱最大の測定結果を示した,DSCチャート(甲30の3)について,①甲22の3や甲27のように,測定者の氏名表記と署名又は押印がなされた書類が付されていないこと,②審判の審理事項通知書において測定者の氏名を明らかにするよう求めたのに対し,次回の口頭審理陳述要領で明らかにされなかったこと,③その後提出された陳述書(甲126)の日付けが回答書の提出日と同日であって不自然であることを理由に,当該チャートが特定人の意思に基づいて作成されたものと直ちに認められず,したがって,これのみによっては取引されたBPEF製品の特定ロットが,本件発明7の多形体Bに相当するものであったと直ちに認めることができないとする。

 しかし,①このDSCチャートは,α社が作成したチャートを添付してY社が試験成績表の体裁にしたもの(甲30の2,甲203)であるから,測定者の氏名表記や署名押印がないことが不審であるとはいえない。②当該測定は,10年以上も前に,本件の当事者ではないα社の従業員が行ったのであるから,測定者の氏名の特定に期間を要したとしても不合理ではない。③陳述書を受領して直ちに提出されたことや提出日に合わせて作成日が記載されたことも考えられるから,作成の日付けが回答書の提出日と同日であることがそれほど不自然とはいえない。その他,甲30の3について,虚偽の測定結果が記載されたとか,その内容が改ざんされたものであるといった事情も伺われない。

 審決は,甲30の3の証拠評価を誤った結果,認定を誤ったものである。

 (ウ) 審決は,第2取引及び第10取引~第12取引の対象物に関する試験成績書(甲33)について,①BPEFのモノマーを対象とするのかポリマーを対象とするのか一義的ではない,②DSCの測定値が示差走査熱分析による融解吸熱最大を必ずしも意味しているとは限らない,③マスキング部分が多く内容を正確に把握することができず,作成者の名称や承認者の欄もマスキングされているため,原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正な成立が確認できないとして,これを認定の資料として採用しなかった。

 しかし,①甲33がBPEFのモノマーを対象としたものではないとの疑いを差し挟む具体的な根拠はなく,②DSCの測定値が示差走査熱分析による融解吸熱最大を意味すると考えることに不自然な点はなく,③マスキング部分は要証事実と関連の薄い部分のみに施されており,作成者の名称等がマスキングされていることによって,内容が改ざんされたなどと疑うべき不審な点もない。

 審決は,甲33の採否を誤ったものである。

 (エ) 審決は,第3取引及び第9取引の対象物に関する甲35の3のDSCチャート及び甲35の8のDSCチャートを,認定の資料として採用しなかった。

 このうち,審決が甲35の3を採用しなかったのは,①甲30の3に関して述べたのと同じ理由に加え,②●の作成した確認書(甲28)においては甲35の3がβ社から原告に対して交付されたとしていることと,●の証言では甲35の3の現物を見たことがなく取引されたBPEF製品の特定ロットの具体的な融点を覚えていないとしていることが符合しないから,甲28は直ちに信用できないこと,③●●の陳述書(甲126)及び●の陳述書(甲127)は,公証人法58条の2の宣誓認証が拒まれたこと,陳述書の作成日付けが回答書の提出日と同じであること,陳述書の表紙と続葉との間に契印がなされていないこと,●●のα社在籍期間後の職歴等が不明であること,●●が守秘義務があるはずなのにしかるべく許諾もなく甲35の3作成から約12年後に克明に陳述するのは不自然であることなどを理由とする。

 しかし,①前記(イ)と同じ理由が該当することに加え,②●が確認書において確認した具体的内容が,甲35の3自体ではなく,当時,甲35の3のような形式のDSCチャートがβ社から原告に対して交付されていたことであったと解すれば,同人の証言内容と符合するのであるから,確認書の信用性を直ちに否定すべきではないし,③●●の陳述書及び●の陳述書の内容に不審な点が認められない以上,公証人法に定める宣誓認証がないことを問題にする必要もなく(なお,●●及び●が宣誓認証を拒んだと認めるに足りない。),陳述書の作成日付けが回答書の提出日と同じであることについては,前記(イ)に述べたとおり不自然とまではいえず,●●の在籍期間後の職歴等が明らかでないことが陳述書の信用性を否定すべき根拠とは通常考えられない上に,●●が陳述書を作成するに当たってはしかるべき準備をしたであろうから内容が克明であることが不自然であるとまではいえない。

 また,審決は,甲35の8について,①測定者の署名又は押印がなされた書類が付されていないから当該DSCチャートが特定人の意思に基づいて作成されたものと直ちに認められないことに加え,②甲33に関して述べたのと同じ理由により,その内容は直ちに信用することができないとして,これを認定の資料として採用しなかった。

 しかし,①このDSCチャートは,α社が作成したチャートを添付して原告が試験成績表の体裁にしたもの(甲35の7)であるから,測定者の氏名表記や署名押印がないことが不審であるとはいえない。②前記(ウ)に述べたとおり,甲35の8を採用しない合理的理由はない。

 審決は,甲35の3及び甲35の8の採否を誤ったものである。

 (オ) 審決は,第4取引及び第13取引の対象物に関するDSCチャート(甲46)について,測定者の署名又は押印がなされた書類が付されておらず,原本の存在,原本との同一性,原本における文書の真正の成立が確認できず,ロット番号(630207)の手書きの状況を確認できないという理由で,認定の資料として採用しなかった。

 しかし,当該試験成績書である甲45と甲46の体裁や,甲45の日付けと甲46の測定日とが近接していることから,甲45の作成者が甲46も作成したものと認められるし,このころ測定がなされて書類が作成されたという経緯及び書類の内容からして,甲45の作成者が甲46の測定をしたものと考えるのが自然であり,ロット番号(630207)の手書部分も,その体裁からして特段不審な点はない。

 審決は,証拠の採否を誤ったものである。

 (カ) 審決は,第5取引の対象物に関するDSCチャート(甲49の3)は,甲30の3に示したのと同様の理由により,所定のロット番号のサンプルが特定人により正しく測定されているものと直ちに認めることができないとした。

 しかし,前記(イ)と同様,審決は証拠の採否を誤ったものである。

 (キ) 審決は,第7取引の対象物に関するDSCチャート(甲31の4)は,甲30の3に示した理由と同様に,真正を証明する書類が付属しておらず,実際の測定者の氏名が即時に明らかにされなかったから,その測定結果は,所定のロット番号のサンプルが特定人により正しく測定されているものと直ちに認めることができないとする。

 しかし,前記(イ)と同様,審決は証拠評価を誤った結果,認定を誤ったものである。

  (3) 秘密保持義務の有無について

   ア 以上のとおり,上記各取引において本件発明7の実施品が対象物とされていたと認められるものの,原告が当該対象物の示差走査熱分析による融解吸熱最大について被告に対する秘密保持義務を負担しており,かつ,原告が取引相手方に対してかかる秘密保持義務を課している場合には,各取引により本件発明7が公然実施されたとはいえないので,この点につき判断する。

   イ 本件覚書に基づく秘密保持義務について

 (ア) 原告は,本件覚書に基づき,共同開発に当たって被告から開示される技術的情報について,被告に対して秘密保持義務を負担していた。

 そして,上記(1)イの認定のとおり,本件3社会議において,被告は,Y社,X社及び原告に対し,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●を報告した。本件優先日当時,BPEFは,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●原料として有望であったのだから(上記 1(3)),BPEFの結晶形に要求される品質には●●●も含まれていたところ,本件3社会議において報告された上記BPEFは●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。)。その後,当該共同開発において示差走査熱分析による融解吸熱最大が160℃から165℃のBPEFについて良好な品質のものが得られたとか,安定的に製造できる方法が開発されたとかいった事情もない。したがって,本件3社会議における報告によって,原告が負担した示差走査熱分析による融解吸熱最大に関する守秘義務の内容は,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●ことである。

 一方,上記各取引の対象となったBPEFは,上記(1)ウ及びエ認定のとおり,共同開発とは別に,Y社が開発した製造方法によって製造されたのであるから,その物性情報は,本件3社会議において開示された情報と同じであるといえない限り,本件覚書に基づく秘密保持義務の対象とはならない。そして,BPEFにおいて,一定の品質を維持できる特定の結晶形を作り分けることが必要であって,高品質な結晶形を得る製造方法を見い出すことも,本件優先日当時の課題であった(上記1(3))ところ,原告は,上記(1)ウのとおり,独自に多形体Bの製造方法を開発することによって,商業的取引に値する品質を備えた多形体Bを製造するに至ったものである。したがって,上記各取引の対象となったBPEFは,本件3社会議で報告された,●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●であり,後者に関する秘密保持義務の対象となるものではない。

 よって,上記各取引の対象物たるBPEFの示差走査熱分析による融解吸熱最大は,本件覚書における秘密保持義務の対象となる技術的情報に該当しない。

 (イ) これに対して,被告は,原告が物性情報についてマスキングを施していたこと,閲覧等制限の申立てをしたことからすれば,原告は,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大について被告に対して秘密保持義務を負うと認識していた,と主張する。

 しかし,原告がマスキングを施したり,閲覧等制限の申立てをしたのは,多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大の情報を秘匿するのではなく,いかなる品質検査項目に着目してBPEFの品質検査をしているのかを競合他社である被告や第三者に開示したくないという別の理由によるものと認められる。したがって,原告によるマスキングや閲覧等制限の申立てによって,原告が多形体Bの示差走査熱分析による融解吸熱最大の情報について秘密保持義務を負うと認識していたとは認められない。被告の主張には,理由がない。

 (ウ) したがって,α社,β社,γ社,δ社及びε社が,原告が被告に対して守秘義務を負担していることを理由として,原告を経由して被告に対して取引対象物の示差走査熱分析による融解吸熱最大の情報の守秘義務を負担していたということもできない。

 (エ) また,仮に,α社及びβ社が,原告を経由することなく,本件覚書に基づく秘密保持義務を負担していたとしても,上記(ア)と同様,本件各取引の対象物の示差走査熱分析による融解吸熱最大の情報について,本件覚書によって被告に対する秘密保持義務を負担していたとは認めるに足りない。

 (オ) さらに,γ社,δ社及びε社が,被告に対し,直接,本件各取引の対象物の示差走査熱分析による融解吸熱最大の情報について秘密保持義務を負担するとは認めるに足りない。

  (4) 以上より,本件発明7は,第1取引~第6取引,第8取引~第13取引によって公然実施されたものである。取消理由4のうち公然実施については,理由がある。

第6 結論

 よって,本件発明1~本件発明6及び本件発明10については,特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合しないから,取消事由1に理由があり,本件発明7については,本件審決の容易想到性の判断が適切ではなく,かつ,本件優先日前に公然実施されたものであるから,取消事由3及び4(の一部)に理由があり,本件発明8及び本件発明9については,本件審決の容易想到性の判断が適切ではないから,取消事由3に理由がある。したがって,本件審決は取り消されるべきであり,主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 清水節 裁判官 片岡早苗 裁判官 新谷貴昭)

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