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裁判年月日 昭和51年 4月27日

事件番号 昭47(行ケ)25号

事件名 無効審決取消請求事件 〔麻雀ルールによって遊戯する球弾遊戯具事件〕

 

一 原告主張の請求原因事実のうち、特許庁における手続の経緯、原告浅見が昭和三〇年七月四日実用新案出願をし、この出願は、昭和三四年三月九日実用新案出願公告昭三四-三三〇六号として公告された後、同年六月二六日実用新案第四九六一九六号として実用新案権の設定登録がされた事実、本件発明の要旨、審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。

 二、 原告らは、本件発明は原告浅見が単独でしたものである旨主張するので、その当否について検討する。

  (一)いずれも成立に争いのない甲第四号証および第五号証、証人小越幸志の証言、原告浅見良二本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

  原告浅見は、昭和三〇年六月頃パチンコ機械に麻雀の上り手を組入れた遊戯機械を創作することを思いつき工夫をこらし、同年七月四日自ら願書ならびにこれに添付の説明書および図面を作成して実用新案登録の出願をした。

  この考案の出願当時の実用新案登録請求の範囲は「図面及び本文に評説したとおり、配牌球入れ、麻雀牌に模した三四種又はそれ以下の穴、入り球の表示装置、捨球切換機、自動打球準備機、カン表示装置、リーチ用閉鎖器及び捨球入れ器を設け、「カン」の場合を除いて入り球が常に一四ヶになる様、又この入り球が表示されるようにして、「配牌」、「リーチ」、「カン」、「流れ」及び上り手等麻雀ルールによる遊戯を可能ならしめるパチンコ遊戯器の構造」というものであつた。原告浅見は、後にこの出願手続の代理を弁理士丹生藤吉外二名の者に委任し、説明書および図面の内容を訂正のうえ、この出願は昭和三四年三月九日実用新案出願公告昭三四-三三〇六号として公告された後、同年六月二六日実用新案第四九六一九六号として実用新案権の設定登録がされた(この出願について、この日時に出願、公告され、実用新案権の設定登録がなされた事実は当事者間に争いがない。)。

  (二)次に、いずれも成立に争いのない甲第二号証、第三号証、乙第四一号証、第七五号証、第七七号証の一、二(ただし採用しない部分を除く。)第九二号証、第一一四号証および第一二一号証、証人蛭田主税、同石井孝の各証言、原告浅見良二本人尋問の結果(ただし、採用しない部分を除く。)によれば、次の事実を認めることができる。

  原告浅見は、前述したように実用新案登録の出願をしたものの、この出願は考案にかかる装置を現実に製作し試験したうえでされたものではなかつたので、出願後のこの装置を試作すべく独力で努力を重ねたがその成果は挙がらず、試作の作業は必ならずも中断せざるを得ない状態であつた。そうこうするうち、原告浅見は訴外大井晴夫の斡施により昭和三二年春頃訴外山田静、同石井孝と知合い、原告浅見の着想にかかる麻雀の上り手を組入れたパチンコ遊戯機の基本的設計をデッサン風に図示したものを示し、同人らにこの遊戯機の試作を依頼した。山田静、石井孝らは、山田を代表者とする訴外三ツ起産業株式会社(以下「三ッ起産業」という。)でこの機械を試作することとし、以来同社の従業員である石井孝が中心となり、同社の所在地たる桐生市において昭和三三年一二月頃までを費して試作、研究を重ねた。当時、東京都に居住していた原告浅見も、この間殆んど毎週週末には桐生市におもむき、石井孝と共同して試作、研究を続けた。

  両者の共同研究は、遊戯機の構造全般にわたつてなされたが、たとえば、本件発明の特許請求の範囲中「縦に仕切られた多数の球落通路を平行に設けて各球落通路に落入球を受止め必要に応じ落入球を一個ずつ釈放させる装置を設け、且つ前記球落通路の個々の受止球によりそれぞれ麻雀牌の模様を表示させる装置」の部分(以下この部分を「シャッターボックス」という。)についてみれば、球が入つた際の牌の模様の表示方法について、最初は原告浅見の提案で、さきに出願した実用新案登録出願にかかる遊戯機中で用いられた、牌の模様を書いた板を硝子に対して直角にスプリングで固定しておき球が入つた場合その重みで板が垂直になり硝子を透して牌の模様が表から見えるという方法すなわちスプリング式のものが試作されたが好ましい結果が得られなかつた。そこで、両者は検討、協議のうえ、あらかじめ移動片で牌の模様板を覆い球が入るとその重みで、移動片が支点を中心に回転し模様を開放する方法すなわち挺子式のものが試作され、その機能の良否、耐久力の有無などについての研究がつづけられ、試行錯誤が繰返されたものである。

  原告浅見および訴外石井の両者による共同研究は昭和三三年一二月頃まで続けられたが、その間原告浅見は、昭和三二年一二月一八日石井、山田らに無断で自ら願書ならびに添付明細書および図面を作成して本件特許出願をした(原告浅見がその日時に本件特許出願をした事実は、当事者間に争いがない。)その出願当初の明細書に記載された本件特許請求の範囲は「随意の箇所には容易に球を打ち入れられないようにした設備へ、入り球が一定数一列に重なるように設けた球導体を適当数並列配置し、更に、各列の入り球を任意に一ヶづつ捨て得るよう繰出具を取付け、各列を麻雀牌各一種類、又、入り球各一ヶを麻雀牌各一枚に相当するものとして、球の特性活用により不規則箇所に打ち入れられた球が、そのままで麻雀の上り手を作り得る順序に整列され、これを取捨選択交換しながら、麻雀ルールによつて遊戯する球弾遊戯具」というものであつたが、明細書および図面に記載された技術内容は石井との共同研究によつて開発されたものであつた。しかし、またその当時においても浅見、石井らの間では、実用に堪えうる遊戯機が現実に完成されておらず、翌昭和三三年五月になつてやつと警視庁に対し旭精工株式会社青木隆幸名義でこの遊戯機の使用許可認定申請書を提出し、同年六月二六日銀座オリンピックにおいてはじめてこの遊戯機の展示発表会が行われ、三ッ起産業より旭精工株式会社名で出品された。しかし、この機械もまた営業上使用に堪えないものであることが判明したため、ひきつづき原告浅見と訴外石井の共同研究は続けられ、その結果、昭和三三年末頃までには商品として一定の台数が生産され、主として名古屋市方面において現実に営業用として使用されることとなつた。

  そして、本件特許出願は、昭和三五年一一月二日特許出願公告昭三五-一六六二四号として公告された後、同三六年六月八日特許第二七七九二五号として特許権の設定登録がされた(本件登録出願がこの日時に公告され、特許権の設定登録がなされた事実は、当事者間に争いがない。)。

  前示乙第七七号証の一、二、原告浅見良二本人尋問の結果のうち以上の認定に反する記載および供述部分は、前示証拠に照らして採用しがたく、他にこの認定をくつがえすに足りる証拠はない。

  (三)ところで、特許法にいう発明は、技術的思想の創作であること勿論であるが、ここにいう創作とは単なる着想のみでは足りず、その着想が具体化されたものでなければならないことはいうまでもない。

  本件のような機械の発明においては、ある技術的事項についてえた着想が具体的な形態をとつた機械として実現しえないかまたはしていないものであれば、それは発明としては成立しえないかまたは未完成なものといわなければならない。そうだとすれば、着想に基づき機械を試作し、着想の具体化の可否を検討することは、発明成立の一過程であると解することができる。そして、数人が共同してこのような行為をした場合には、その数人は共同して技術的思想の創作すなわち発明をしたものというべきである。

  これ本件についてみると、前記認定の事実よりすれば、原告浅見は、パチンコ遊戯機に麻雀の上り手を組入れ、麻雀牌の模様を縦横に規則的に配列した表示部の表示を落下する打球により行わせ、一定の上り手を表出させようという本件発明の着想を有したものの、その具体化に当つては石井と相協力して共同してその具体化を完成したものであり、石井は、浅見より本件発明の着想を告げられるやその具体化に協力することを約し、共同して具体化する意図のもとに、三ッ起産業の従業員としてではあつたが、浅見と共同してその具体化を完成したものである。

  したがつて、本件発明は、原告浅見が単独でしたものではなく、浅見が訴外石井と共同してしたものと認めるのが相当である。

  (四)原告らは、原告浅見が昭和三〇年七月四日に本件考案について実用新案登録出願をしている事業よりみれば、当時同原告は、すでに本件発明をなしていたか、もしくは本件遊戯機を単独に考案して具体化する技術的知識を有していたものである旨主張する。しかし、本件考案が実用新案登録出願された当時においてはまだ考案にかかる装置が現実に具体化されるめども立つていなかつたことは前記認定のとおりであり、発明は着想の具体化を伴つてはじめて完成するものであることも前記説示のとおりであるから、この出願の事実から、ただちに同原告がすでに本件発明をなしていたものということはできず、また、同原告が本件遊戯機を単独で考案する技術的知識をもつていたということもできない。

  また、原告らは、訴外石井は浅見の依頼により本件遊戯機を商品化するために協力したにすぎない旨主張し、前示乙第七七号証の一、原告浅見本人尋問の結果中にこの事実に符号する記載および供述から見られる。しかし、石井が本件遊戯機を商品として採算のとれるよういかにして安価にしかも外形良く製作するかという点に努力を払つたことは否定しえないにしても、単にそれだけではなく、構造、機能、耐久力等について研究をつづけ試行錯誤を繰返したものであることは前記認定のとおりであつて、この石井の行為をもつて、単に商品化するための協力であるとのみいうことはできない。

  そして、いずれも原告浅見名義部分については成立に争いのない乙第二八号証および同第二九号証,原告浅見本人尋問の結果によれば、原告浅見は、石井のこの協力に報いるべく、昭和三三年一二月一五日付実施権設定契約書、同三四年五月二四日付寄附行為書を作成し、石井を本件発明を共同研究して完成した者とし三ッ起産業より受領すべき本件特許の実施料の一部を石井の取得分とすべく意図した事実が認められる。この事実は、石井が本件発明の完成に相当程度共同者として関与していた事実を推認させるに足りる。もつとも、この乙号各証によれば、藤原実も石井同様に本件発明を共同研究して完成した者として記載されている。しかし、前示乙第七七号証の一、原告浅見本人尋問の結果によれば、同人は本件遊戯機の試作、研究に関与した者とはいえず、専らその販売面において協力したにすぎないものと認められる。したがつて、藤原は本件発明につき共同発明者とはいい難いけれども、浅見は藤原のこの販売面の活動にも感謝しており、その労に報ゆるべく、便宜上石井と共に共同研究者として表示したことが前記証拠によつてうかがわれるから(いずれも成立に争いのない乙第七六号証、第一一五号証中この認定に反する記載は、前記証拠に照らして採用しがたい。)、藤原に関する前記乙第二八号証同第二九号証の記載は前記認定を妨げるものではない。

 三 以上のとおり、本件発明は原告浅見および訴外石井において共同してこれをなしたものであるから、原告浅見が単独でしたものとはいえないとした審決の判断は正当であり、審決にはこれを取消すべき違法はないものといわなければならない。よつて、原告らの本訴請求は失当として棄却する。 

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